セカイよさようなら
カナは、セカイを嫌っていた。
にこにこ笑いながらも、その笑顔の下で、
こんなセカイだいっきらい、と何度呟いていただろう。
カナの妙な言動が増えたのは、カナの母親に末期ガンが発見されて、入院してからだ。
空を飛びたい、だの。消えたい、だの。俺の好きな奴は、誰とか。
俺は、ただ、それを聞くことしか出来なかった。
日毎に増えるカナの顔の痣と、日毎に切羽詰っているように聞こえてくるカナの声に、
俺は、なにもできなかったんだ。
「拓也っおいなにやってんだよっ」
「……!」
チームメンバーに声をかけられ、俺はやっと我に帰った。
回されたボールが、敵チームにあっけなくとられ、
フリースローされた。ピーッと監督が笛を鳴らす。休憩だ。
俺に声をかけたメンバーが、駆け寄って、肩に手をかけた。
「どうしたんだよ拓也っらしくねえぞ」
「……ごめん。おれ、ちょっと抜ける…」
タオルを掴んで、体育館の扉へと向かう。
「お、おい…」
「やめとけって…ほらあいつ、なんつったっけ…ええっと…日暮…日暮香奈。あいつのこと知ってるだろ?」
「ああ、一ヶ月前の心中の…」
「そいつ、幼馴染だったんだ…。拓也の…。」
「……日暮が…」
そんな会話を背にして、俺は屋上を目指した。
カナが、二番目に好きだといっていた場所。
一番目は、とうとう教えてくれなかった。
もう二度と聞くことはないんだろう。
屋上に着くと、少し冷たくなった風が、頬を撫でた。
残暑が厳しいあの日、カナは―――
「……カナ……」
コンクリートにしゃがみこみ、呟く。
虚空に響く俺の声は、声変わりも終えていない掠れたものだった。
夕暮れの空から目を逸らし、腕に顔をうずめ、目を閉じた。
ひゅうひゅうと風が髪を弄ぶ。
―――どうしたの?タク。また試合でヘマしたの?
「……うるさいな」
―――わぁっタク見てっ入道雲っ!!ママにも見えてるかなぁ…?
「………ああ」
―――あのね、タク……
ふっと頭を上げて、横に目を向ける。
そして、視界が霞んだ。そこは、カナがいるはずの場所。
何も無い、俺の影だけが、そこにあった。
俺は、ぐ、と胸の奥からこみあげるものを、おさえた。
俺はのろのろと立ち上がり、階段を下りて、体育館に向かった。
監督に気分が悪いと告げ、早退した。
監督は、目を細めて、俺を見ていた。四十歳のいいおじさんという感じの監督は、
俺の頭を撫で、特別だぞ、と言った。
それに、頷くだけで答えて、俺は立ち上がる。
中一の癖に、生意気なのかもしれない。でも事情を知ってる先輩たちは、
ゆっくり休めよ、と言ってくれた。
校門から出て、坂をゆっくり下る。
そして、すぐに見えてくるのは、まず、俺の家。
三軒先は、カナの家だ。
いまは、おじさんとおばさんが住んでいるらしい。
しばらくすれば、立ち去るらしいが。
あの日、カナの妙な電話に不安を感じた俺は、カナの家へ走った。
玄関が閉まっていたので、カナの庭の柿の木から枝をつたい、
ちょうどカナの部屋のベランダに降りた。
そのとき、小さい頃、カナとよくやったのが、頭の中をよぎった。
線香の匂いを辿り、居間にいくと、親父さんと、カナが倒れていた。
床に散らばる白い錠剤に、血の気が失せていくのを感じた。
ぐったりと投げ出されているカナの手を握り締めて、
俺はただ叫ぶしかなかった。
「カナっおい!!……カナっ!!」
『……………だいすき、だよ。』
最後に聞いた、カナの声が、何度も何度も、おれの頭の中で、繰り返された。
『こんなセカイ、だいっきらいだけど、でも、タクはきらいじゃないよ?』
ほんとだよ?
そう言って、笑ったのは、いつの頃だったか。
少し前だった気がする。もっと前だったかもしれない。
でも、そんなの、もう、関係ない。
カナは、このセカイにもう、いないんだ。