神の杜

第 1 6 話 秋 に 呻 る


 2

 このところ、この土地一帯天気が不安定だ。
 朝は曇天か小雨。夕方に近づくにつれ暗雲がたちこみ、豪雨や荒々しい雷が咆哮のように満ち渡り、稲妻が幾度も山や町に落ちる。台風が上空にずっと滞在しているかのようだが、この異常気象はこの土地一帯だけらしい。
 秋は天気が変わりやすいとはいえ、ひどい時には川が氾濫して行方不明者も出てくる始末。
 学院では生徒の安全のため、しばらく午前中のみ授業講義をとりおこなうことになった。部活・委員会活動以外の生徒は残留許可書がないかぎり、強制的に帰らせている。
 授業が半分で済むのだから生徒にとっては万々歳な出来事である。
 今日は、朝から雨だ。ひどくはないけれど、霧も出てきて、冬に一歩近づいたような寒さになった。

(雨がひどくならないうちに帰れればいいんだけど…)

 小柄な体に不似合いな大きい辞典を五冊ほど抱えながら本棚とカウンターを行ったり来たりしていた桜は、中央に広々と点在している長机の方に目をやって、瞬きをした。
 見覚えのある黒髪の頭が、色々な本の中に埋もれている。
 よほど本の内容に集中しているのか、近づいている桜の気配に気づかない。
 そろそろと後ろに回って、桜はこっそり声をかけた。

「東海先輩」

「っ!」
 肩をびくつかせて、蒼牙が慌てて振り返る。
「か、神代…?」
「はい」 
 本の山からひょこっと顔を出して、桜はにこっと笑った。ちょっと休憩してもいいかな、と思って蒼牙の邪魔にならない程度の場所に本を置く。
「誰かと思った」
「ずいぶん熱心に読んでましたね」
「…、調べ物」
 桜は何気なく積み重なっている本の表紙を見た。土地の地形、歴史、郷土資料…。
「町について調べてたんですか」
「そ。クラスの宿題」
 蒼牙はさりげなく読んでいた本を裏返した。桜はそれに気づくこともなく、置いてあった自分の仕事の本をもう一度抱えた。
「神代は?」
「仕事です。これ、そこの本棚に戻すんです」
 すぐ近くの大きな本棚を指差して、桜はよいしょと辞書を抱えた。が、五冊のうち三冊がひったくられる。
「…先輩?」
「手伝う」
「…え、でも調べ物…」
「終わった」
 桜はなんだかくすぐったい気持になるのをどうにかこらえて、ふるふると首を振った。
「…なら、ちゃんともとあった本棚に戻してください。図書委員が困るんですよ?」
 そう言われると、蒼牙は少しだけふくれっ面になったが、「はいはい」と応えて桜の手の上にそれを戻す。
 桜はくるりと踵を返してよたよたと歩きはじめた。蒼牙はくっと小さく笑って、乱雑に置いていた本を片づけ始める。そして、裏返していた本を取り上げた。
 ――『白神町の祭事』について。
 神代家のことを仰々しく紹介して、あたりさわりのない祭りの内容が書いてあった。求めていたものはなにもない。
(…、文献にのってるわけない、か)
 ならば。蒼牙は本を重ねてできた山を抱えながら思案にふける。最後にとっていた方法はあまり選びたくなかったのだが、このままだとそれに縋るしかなくなりそうだ。
(だけど、な…)
 蒼牙はかぶりを振って、本棚に文献をひとつひとつ戻した。調べ方が甘いのかもしれない。もう少し時間をかけてみよう。

◇ ◇

「よいしょっと」
 蒼牙が脚立を折りたたむ。
「これで全部?」
「はい。ありがとうございます。ごめんなさい高いところ頼んじゃって…」
「神代トロいからな」
 さらっとひどいことを言われて桜は頬を膨らませた。それからぷいっと蒼牙から顔をそむける。ぱんぱんと音を立てて手の埃を払い落した。蒼牙も同様に制服の裾についた埃を払い始めた。
 なにげなく桜は窓に目を向けた。さっきまで小降りだった雨が本格的になってきている。早く帰った方がよさそうだ。
(なんだか…いやな雨…)
 一歩窓に近づいて、そっとガラスに触れる。冷たい感触に肌寒くなった。なんとはなしに下を見下ろすと、裏庭が映る。連日の雨で土はぬかるみ、木もなんだか元気がないように見えた。
 ふと、ころん、ころん、と不思議な音が聞こえてきた。それはどこから響くものではなく桜の頭の中に直接響いた。ガラスに鼻がぶつかりそうになるほど顔を近づけて目を凝らす。

 泥だまりのところで、まるい生き物がころんころんと転がっている。桜はその姿に見覚えがあった。

(産土神さまの…こどもたち…?)

 桜は神やその子らと意思の疎通ができる。それに蒼牙は驚いていたが、何の苦労もなく普通に喋れるのだ。神がどういう存在か、はよくわからないが、その子供たちは無邪気そのもので、桜によく声をかけてくる。幼いころから「そこの道は行っては駄目」「鈴をもっているとだいじょうぶ」など、よく助言をしてくれる。
 遊んでいるのかな、と桜は首を傾げた。けれど、何か違和感がある。
 桜は意識を集中させるために目を閉じた。
 
 ころん。ころん。

 ――トケル ムスビガトケル

 どっしりと重い声が何度も繰り返す。だが何かの雑音に紛れてよくは聞こえなかった。桜はもう一度ぎゅっと瞼を閉じて、意識を集中させた。
 余計な音は遮断して、意識を土神の子たちの声に傾ける。チャイムの音が遠ざかる。雨音が遠ざかる。自分の心臓の音が遠ざかる。
 
 しん。と辺りが静まりかえった。

 ――地の……が…

 声がはっきりとしたものになってきた。桜は唇を引き結ぶ。
 
 ――地の波がおしよせる。…がわれた。ぜんぶ、われた

「――神代? どうし…」

 蒼牙が外を見下ろしたまま動かない桜にいぶかしげに問いかけた。
 刹那。どおおん、と大きなものが落ちたようなけたたましい音と共に、床ががくんと浮き上がった。
 目を閉じていた桜は容易く身体のバランスを崩した。
 どんっと床に肩が強くぶつかる。あまりの痛みに一瞬息をつめた。

「…った、…」

 どうにか声をしぼりだす。立ち上がろうとしたが、まだ地震は続いている。衰えるどころか、烈しさを増すばかりだ。膝がすぐに崩れてしまう。
 ガタガタと本棚が揺れて、本がばさばさと落ちてくる。棚に補強はしてあるが、だいぶ古いものだから、長くは持たないかもしれない。
 どうにかバランスを保って立っていられた蒼牙は慌てて桜を抱え起こした。
「神代、立てるかっ?」
「は、はい…」
 刹那、ビシ、ビシと音を立ててガラスに亀裂が走った。それだけに終わらず、みしみしと悲鳴を上げて本棚が傾いてくる。桜は蒼牙の肩越しに、覆いかぶさってくる本棚を見た。




 
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