神の杜

第 1 4 話 蛍 狩 り


 1

 きゅ、と裸足の指先が板間を鳴らす。
 蒼牙が伏せていた視線を上げると、丁度向かい側に扇をひらいて静止している桜が見えた。
 鬼の面をつけた蒼牙と桜の視線が繋がる。それと同時に二人は衣を翻し、持っていた祭具を後方に高く放り投げた。
 空中で扇と剣が交差する。ほぼ同時に桜に剣、蒼牙に扇が渡る。それらを己の手で軽やかに舞わせながら、背中を向けあい、大きく舞台を歩む。丁度、円を描くように、ゆっくりと。
 大周りが済むと、蒼牙が中央に移動し、膝をつき、扇を大きく舞わせた。桜は蒼牙の前に立つと、華奢な両腕で剣を持ち、天高く掲げる。
 そして、その剣を迷うことなく蒼牙の顔に向けて振り下ろした。

 蒼牙のつけていた面が半分に割れる。蒼牙はゆっくりと立ち上がった。桜は逆に片膝をつき、剣を両手に捧げ持ち、厳かに頭を下げた。

◇ ◇


 しん。と辺りの空気が静まり返る。
 蒼牙と桜は心の中でゆっくりと十を数えてから、それぞれの扇と剣をさげ、立ちあがった。
 見つめる先には雪路とあきらがいる。先に口火をきったのは雪路だった。
 
「今までで一番素晴らしい出来だったよ」
「そうね。呼吸もあっていたし」

 二人の言葉を、緊張しながら待っていた桜と蒼牙はへなっと床に崩れ落ちる。もう夏休みは残り少ない。来週からは学校が始まる。そうなれば、後期にすぐ試験が迫ったあきらは東京に帰らなければならない。次に戻ってくるのは11月の後半だ。加えて雪路も当主として祭の準備におわれることになるのだ。そのような理由から、桜と蒼牙の間では夏休み中には神楽を完璧に覚え、なおかつ舞えるようになる≠ニいう暗黙の誓いがたてられていた。
 何度も何度も練習して、大半は失敗の連続だった。それゆえ、このままうまくいかないのではないかとの不安に苛まれ続けていたのである。おかげで、二人とも一気に緊張が解けてしまった。

「よ、よかったあ…」
「交わし技、うまくいったね」
「はいっ。頑張った甲斐がありましたっ」
 
 安心したかのようにどっと汗をかいて、笑いあう二人に、あきらは眉をひそめた。そして、さっさと二人の前にしゃがんで、遠慮なく額を指弾する。

「わっ」
「いたっ」

「なーに寝ぼけたこと言ってるの!完璧に舞えたのは今日が最初なのよ!100回やって100回成功しても足りないぐらいだわっ」
 憤然と立ち上がり、腰に手を当てる美女はそう言いきった。その通りだ、と思った桜は「はいっ」と返事をし、蒼牙は微妙にむくれながら頷いた。
 その時、演舞場に白神神社の権祢宜が現れる。雪路が気づいて何事かと説いた。
「今年の夏月祭について、どうしても当主殿のご采配が必要で…」
「斉主は…叔父上はどうしたんだい?」
「はあ…。実は奥方様がお倒れになったとかで、病院に行ってしまわれました」
 雪路は目を丸くさせ、小さく息をつく。今度の祭りの斉主は六の分家の当主だ。父の兄弟の末弟で、年も二十代後半と若い。しかも新婚である。
「…叔父上にも困ったものだ…。わかった。すぐにいこう」
 人選を間違えたな、と心中で呟きながら雪路は権禰宜を従え早足で演舞場を出て行った。
 あきらはふうんとおもしろそうに笑った。そして、雪路の出て行った方を見つめている少女と少年に向かって声をかける。
「…今度の日曜日お祭りなのね」

 ぴくっ。

 桜と蒼牙が同時にあきらを見上げる。頬は紅潮し、瞳はきらきらと輝いて、明らかに何かを期待している顔だ。
 子犬みたい。と思いながら、あきらは素知らぬ顔でくるりと踵を返す。
「練習どうしよっかなあ〜学校はじまっちゃったらなかなか出来ないしなあ〜っ」
 ちらり、と二人を見る。二人とも青ざめた顔つきであきらを見つめていた。
 噴き出しそうになるのをこらえながら、「朝から晩までみっちりやるのもいいわねえ」とつぶやく。今度は桜が悲しそうな顔になった。あきらはふっと小さくほほ笑んだ。
 蒼牙をいじめるのは大好きだが、桜を悲しませるのは不本意ではない。
「まあ、午前中で終りにしてあげるわ。女の子は色々とお支度がかかるものね」
「えっまじ?!ラッキーッ」
「ありがとうございますっ」
 二人は飛び上らんばかりに喜んだ。そしてお互いに夜店はどのくらい出るのか、何を買いたいかを忙しげに話し始める。年相応の表情や行動に、自然と目元が緩んだ。
 昔、まだ雪路が当主でも次代当主でもなかった時。よく二人で祭に出かけた。自分たちも、こんな風だったのか、とふと感傷にひたる。そしてはたっと目を瞬かせた。
(やだやだ。なんだか十代を超えちゃうとばばくさくなるのかしら?)
 気分を変えて、あきらは桜と蒼牙の間に割り込んだ。おいっと抗議する声があがるが無視。
「浴衣着るの?桜ちゃん」
「はい。二の分家の方から新しいものを頂いたので…それを着ようと思います」
 桜はにこにこしながら答えた。後ろで騒いでいる弟はおさえつけているので見えていないらしい。
「変なヤンキーに絡まれないようにね」
「心配してくださってありがとうございます。でも、二年生の先輩方も一緒なので…」
 桜の言葉に、蒼牙があきらの手をくぐりぬけてがばっと起き上がる。桜はびっくりした様子で蒼牙を見上げた。
「それ誰のこと?!」
「え?」
 明らかに怒っている蒼牙の顔をぽかんと見上げながら、桜はおっとりと首をかしげた。
「…平野先輩と…中澤先輩と…新兄さまと…」
「あとはっ?」
「東海先輩ですよ?」
 さも当然のように言われて、蒼牙はしばらく棒立ちになった。頬が少し赤くなる。そんな彼の肩を、あきらがぐいっと引き寄せた。そして耳元で小さく呟く。

「よかったわねえ〜名前があって。蒼ちゃん?」
「うるさいっ」



 
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