神の杜

第 1 3 話 縛 め の 楔


 3

 夏休み半ばにある登校日が終わった後、蒼牙と新、そして悠は学院の裏手にある浜辺を横切っていた。
 今日は雪路の都合と、あきらの気まぐれ――久しぶりに一日中故郷を見て回りたいそうだ――が重なり、神楽の練習もない。桜は図書委員の担当で夕方まで図書院にいるそうだ。友人の遼子も付き合っている。
 悠としてはクーラーのきいた部屋で桜や遼子と遊んでいたかったのだが、前の凸凹コンビに拉致されてしまったのである。
 最初はぶつくさ言っていたが、蒼牙から事の次第を聞いた後は流石に神妙な面持ちをした。

 きらきらとひかる水平線を見ながら、悠は大きく伸びをした。その拍子に、ひらりと制服のスカーフがなびく。

「でも、まだ信じらんないなあ。記憶がふっとんだのは変だと思ったけど」
「悠は体力あっから、なーんも感じなかっただろ」
「おう」
「普通だったら2、3日寝込むんだけどね」
「次の日、あたしバレー部の試合で大活躍だったぞ!見ろ!この日に焼けた肌と筋肉を!」
 悠は半袖のシャツをまくりあげて、健康的な肌色をした二の腕を二人に見せつけた。新は両手で顔を覆い、「ああっ悠がっ悠がっどんどん逞しくなっていくっ俺複雑ッ」と打ちひしがれ、蒼牙は見もしないで黙々と足を進めた。
 目的地は南の杜=Bイフヤと名乗る神が示した場所だ。最初は蒼牙と新、二人で行こうと決めていた。しかし、何かの拍子に新が悠の前で「イフヤ」と零してしまったのだ。悠はきょとんとして「なんでうちの守り神の名前知ってるんだ?」と切り返してきた。そこで、強制連行の形になったのである。

「あ、あそこあそこ。ちっちゃい鳥居あるだろ?」
 悠が前方をさす。そこにはあまり広くはないこじんまりとした林が広がっていた。その入口に、朱の鳥居が立ち、奥に小さな社がある。
「へえここが。奇麗にしてんなー」
「当たり前。毎日兄弟で変わりばんこに掃除してんだぞ」
「俺の家はそういうの兄ちゃんの役目だからなー。蒼牙は?」
「母さんがしてた」
 およそ普通の中学生の話す内容とは少しずれた会話をかわしながら、三人は鳥居をくぐった。
 その時、ぐにゃり、と足元が歪んだ。同時に今さっきまでの潮騒や海風がぴたりと止む。蒼牙と新は少し肩を強張らせた。
 肌に電流が走るような痛みを覚える。凄絶な神気にからみとられたのだ。

『来たな。海神の愛児』

◇ ◇

 凛とした、男とも女ともとれる声音に、蒼牙と新はぎくりと身体を直立させた。声は、社からでなく後ろからしたのだ。嫌な予感がしつつも、振り返る。
 そこには、二つの瞳を金色に輝かせた悠が居た。腕組みをして、口端をつりあげて、愉快そうに二人を見つめている。
 蒼牙と新は顔を見合せてからそれぞれ霊力を解放した。二人の瞳の色が変わる。
「…やっぱり、篠田使うんですか」
『この娘は我が娘も同然。入りやすいのだ。して、何用か』
 蒼牙は口火を切ろうとして、寸前でとめた。肩にかけていた鞄からごそごそと一本の日本酒と、高価な御重を取り出した。
 新は首をかしげながら、悠の方に視線をやりあんぐりと口をあけた。イフヤの後ろにゆうらりと影が出来ている。それは、――白い美しい狐だ。妖艶で高貴な毛並みに、金色の瞳。見る者を圧倒させる姿…のはずなのだが。
 その耳はぴくぴくと動き尻尾がぶんぶんと揺れている。まるで飼い主になつく犬だ。
『おお、おお。ただの童にしては準備が良いな』
「東海家秘蔵の酒と、俺のばあちゃんが作ったいなり寿司です。ご所望なさいますか?」
 してやったり。と胸中で呟いた。神に何かを頼む時は供物。それも上等なものでなくてはならない。だから、倉から祖父が大事にしていた酒を持ち出し、祖母にいなり寿司をつくってもらった。何故いなり寿司かというと、篠田家の護り神は狐の姿をしている、と遠い昔に祖父に教えてもらっていたからだ。
『無論。…だが、ただで、とは言わないのだろう?何が訊きたい』
「白神山、そして神代本家についてです。あそこは変です。……あそこは、」
 そう。以前入り込んだときは気付かなかった。だが、あとでよくよく考えてみると、あの地をとりまいていた重たいモノは、神気などではなかった。
「妖気に満ちています。神を祀っている場所に、何故?」
『その言葉の通り、ではないのか?』
「………じゃあ、祀られてるのは…神なんかじゃなくて…」
 蒼牙の驚きの言葉に応えたのは、予想外にも新だった。
「……化け物だよ」
「…新?」
 新は北を見つめて、息をついた。そして、蒼牙に向き直る。
「あそこには、最初(はな)っから神なんていねえ。いるのは太古の大妖だ」
「おまえ、なんで知ってんの」
 訝しげな蒼牙の顔に、新は困ったように頬をかいた。
「…………。いや…ちっちぇえ時に、雪路さまと神代分家のおっさんたちが話してるのを聞いたんだよ。だけど、ほんととは思えなかったから、黙ってたんだけど…」
 これまでの話で、確証がついた。そう締めくくる新の顔を、蒼牙はしばらく凝視していた。
 しかし、イフヤが笑みを浮かべて首肯したので、蒼牙は新から視線を外す。その瞬間、新の瞳が一瞬揺らめいた。
 イフヤは手近の岩にどっかりと座りこみ、どこからか持ってきたお猪口で酒をつぎ、みるみる飲み干していった。それからひょいっといなり寿司を食べて、満足そうに頷く。
 酒の味に満足したのか、愉快そうにイフヤは語りだした。
『少し前、西の祠が壊れただろう。覚えはないか?祟神になったと聞き及んだが』
「……あれは…篠田が、浄化しました」
 その言葉に頷き、イフヤは目を閉じた。
『私も、永の眠りから解かれた。まあねんごろに祀られていたから祟神にならずにはすむがな』
「……どうして封じられていたんですか」
『この地を護るため、だ。そのうち各地に施された神代家の護りも解かれる』
 つまりは、だ。蒼牙はこれまでの話を整理してみた。白神山には神なんていない。いるのは太古の大妖。それを封じるために、各地に守りが施されてきた。そして、自分たちが行う神楽も、何らかの封じの役目を果たすのだろう。
 だが、その護りは解け、大妖を封じる力も弱まっていく。このままでは、山に封じられた大妖が目覚めてしまう。
『神代家も焦っておる。――だが真実を知らぬ。また、楔(くさび)を打つつもりじゃ』
「楔…?」
 蒼牙は眉をひそめた。イフヤは口端をつりあげる。おもむろに蒼牙の顎を掴んで引き寄せた。そして、囁くように問いかける。

『のう。海神の愛児よ。お前はどう思う。この地の護りが綻びているのは、なぜなのか。――その答え次第で、楔の運命が変転するかもしれんぞ』
「俺、次第…?」
 祖父と同じような意味合いの言葉だ。ますます眉をひそめて考え始める蒼牙の頭を撫で、イフヤは立ち上がった。
『良い美酒と寿司であった。その対価は払ったぞ。――ではな』


 その言葉を残して、イフヤは白い炎を纏いながら、社の奥へと戻っていった。




-第13話「縛めの楔」終り-



 
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