神の杜
3
(―――ッ)
ふいに、誰かに呼ばれたような気がして、蒼牙は飛び起きた。大分身体は軽くなっていた。隣を見ると、いまだに新は蒼い顔で寝込んでいる。
「…なん、だ…いまの…」
刹那、玻璃が砕けたような音が頭の中で弾ける。蒼牙はぎくっと肩を強張らせた。
「……………神代?」
桜に預けた護りの石の力が、拡散した。嫌な予感が、胸中を満たす。
急いで制服の乱れを直し、ベッドから降りた。それと同時に保健室のドアが荒々しく開く。視線を向けると、息を切らした悠がいた。
「…篠田…?」
「東海、ちょっと来い。先生新の馬鹿を頼みます」
そう言ってから、そのまま助走もつけずに悠は全力で駆けだす。蒼牙は呆気にとられてから、急いで悠をおいかけた。
「おいっ神代に、なにか……」
「…来ればわかるっ」
そのまま南校舎を目指すかと思ったが、悠は南校舎の裏手に回り、裏の森の入口で座り込んでいる数人の生徒の前に立ちはだかる。
一人の手の中にあるものを見て、蒼牙は目を見開いた。
「……桜は…どうしたんですか」
目の前に立つ少年が高等部の制服を着ていたので、かろうじて敬語で聞くと、少年はぐ、と何かが喉につまったような顔をした。
「それは、俺が彼女に守りとして預けたものなんですが…彼女はどこです」
半分ほど欠けた守り石を握り締めた悟はぎくりとたじろいだ。目の前に立つ蒼牙は丁寧な口調でものを話しているが、眼は殺気立ち、抜き身の刃を思わせる光を宿している。
「……姫、は…………祟神に攫われた」
「…おまえらを助けるためにな」
「と、とうぜんよっ姫が呼んだのだもの!!」
「そうよあれでよかったのよ!」
きゃあきゃあと騒ぎ立てる少女たちに、蒼牙は視線を向けた。
「黙れ。そんなことは聞いていない。」
悠は息をついて、手近の大柄な少年の胸倉をつかみあげた。
「おい。祟神がどっちにいったかくらいは見たんだろ?」
ぎらつく悠の眼光におされ、少年は喘ぎながら答えた。
「っ…西、だ。西の山だよ!まだ軌跡が…」
震える指先を負えば、暗色の雲が、西の山を覆っているのが見えた。
悠は一つ息をついて、腰に手をやり分家の子供たちを見下ろした。
「……このことは篠田家名代として、当主に報告させてもらう」
「…な…っ」
「異存はないな。――去ね」
悠が言いはなつと、神代分家の面々は転がるように校舎へと逃げ込んでいった。それを舌打ち交じりに見送る。そのまま走りだそうとする蒼牙の腕を悠が掴んだ。
「待て。東海、おまえ地鎮できたか?」
「は?いや」
「祟神をたたっきるつもりじゃないだろうな?」
「…うん」
「そんなことしたら末代まで祟られるぞ。罰あたり」
「…篠田、何が」
蒼牙は苛々しながら聞き返す。そんな彼を放っといて悠はうんうんと一人で頷いていた。
「…こんな荒々しいのは初めてだけど、お前よりはましだよな」
「…………篠田?」
悠は蒼牙をまっすぐ見つめる。片方の瞳が、金色に輝いていた。蒼牙は、眼を見開く。彼が言葉を紡ぐ前に、悠が口を切った。
「あたしは、この地を見定める一族の末裔」
「見定める…?」
「この地の始まりを、この地の終わりを見定める一族」
「…初めて聞いた」
「……神代家にも、東海家にも、日下家にも属さない家系だからだな」
からりと軽い調子で言って、悠は顔を引き締めた。
「祟神の鎮魂は任せろ。得意分野だ。お前は桜を助けることだけに集中しろ。――追うぞ!!」
「分かった」
桜はぼんやりと目を開けた。見動きをしようとして、顔をしかめる。身体中に蔦が巻きついていた。しかも、刺のようなものが生えているのか、動かすたびに小さな痛みが走る。
痛みをこらえて、そのすべてを千切った。身体は解放されるが、全身に裂傷が走る。
それでもどうにか起き上って、辺りを見回した。
ぴちゃり、と首筋に何か水のようなものが落ちてくる。不思議に思って顔を動かし、上を見上げて、桜はあやうく悲鳴をあげるところだった。
全身をどろりとした液体で覆われた異形が、桜をのそきこんでいる。ただ、眼孔はぽっかりと開き、口と思われる穴だけが大きく開き、笑みの形になった。
『……こんなにも容易く蛇(くちなわ)の贄≠ェ手に入るとはなぁ』
「…え……?っ!」
異形が腕をのばし、桜の首を掴む。どろりとした液体が、制服を汚した。
『かよわき人の娘よ』
「…っく、…っ…」
脳裏にぼんやりと祠のようなものが浮かんでくる。朽ち果てた、人に忘れられた神の座所。
『我は寂れ果てた祠の主。我は偽りの神を崇める一族の根絶やしを願う。我こそが白神にふさわしい』
「……っ……」
ぎり、と身体を拘束する力が強くなる。桜は顔をゆがめつつ、必死に意識だけは失なわまいとして、気丈に祟神を睨み返した。