神の杜

第 8 話 ち は や ぶ る 神


 1

 神代神社が座す北山。それは白神山への唯一の入口である。はてのない木々の波を囲んでいるのは白神山よりは劣るもののやはり険しい山々だ。自然と白神神社からしか入れない形になっている。
 北山から西の険しい山に続く道をたどっていくと、小さな祠がある。そこは白神山との間にある崖を流れる滝を祀るように在る。
 だが、その祠は落雷かなにかで無残にも朽ちはて、先日の春の嵐でぼろぼろになっていた木片がほとんど無くなってしまっていた。
 その場所から黒い煙がたちこめる。
 ゆっくりと。確実に、それは異形の形へと変化した。
 
◇ ◇

 桜はきょとんと眼の前にいる少年二人を見つめた。後ろでは自分たちの教室のドアに背中を預けて腕組みをしている悠がいる。困ったように悠を見ても、肩をすくめられるだけだ。
 桜の戸惑いの理由は、目の前でぜえぜえと辛そうに息をしながら立っている東海蒼牙と日下新である。二人とも一見して身体の具合が悪いのが分かる。額には冷えぴた。そして口にはマスク。あげくのはてにはマフラーを巻いている始末だ。そしてなぜか頬や指、いたるところに絆創膏を貼っている。
「あの……お加減が悪いんじゃ…」
 そう言いかけた桜の肩を、蒼牙の両手ががっしりと掴む。桜はびっくりして固まった。
「神代」
「は、はいっ」
「…………大丈夫か?怪我とかしてるか」
「…あの…先輩が大丈夫ですか?」
 がくりと蒼牙の身体が揺れる。その身体を押しのけて、今度は新が桜の肩を掴んだ。
「桜」
「はい?」
「気分悪くねえか?怖い夢みたとか…」
「いえ…。あの、ですから…」
 そこで、それまで後方でじっと黙っていた悠がのっそりと歩きだした。桜の肩を掴んでいる新の手を払いのけ、そして、憤然と二人の前に立ちはだかる。
「新、東海。さっさと…」
 そこで一旦切ってから、ひゅっと悠は短く息を吸った。そして構えを取って、足を振り上げる(無論、スパッツ着用済み)。
「寝ていやがれ!この、バカッたれどもがーーっ!!!」
 下から蹴りあげられた足は見事に新の横腹に当たり、彼の身体がぐらりと傾いだ。そして新の隣にいた蒼牙はのしかかってくる新の重みに耐えられず、二人揃って床に倒れ伏した。
 そのタイミングを見計らったかのように、教室の傍の階段から少年が二人駆けてくる。バスケ部のジャージに身を包んだ活発そうな少年と、眼鏡をかけた、いかにも秀才の雰囲気を纏う少年だ。
「すまんのー篠田。こいつら言うこときかんくて」
 そういいながら白い歯を見せて、ジャージを着た少年は蒼牙を背負った。そしてもう片方の少年は新を担ぐ。
「お騒がせしてすみませんでした。僕らが医務室に連れていきますので」
「ああそうしてくれ。ちゃっちゃとそのスカポンタン共を片付けろ」
 はいはいと眼鏡の少年の方が返事をして、四人は階段を下りていった。悠ははあっと息をつく。
「だいじょうぶかなあ…先輩達、どうしちゃったんだろう…」
 首をかしげている桜に、疲れた様子で戻ろうと返して、悠は先に教室に入った。その背中を追いかけようとした桜に、いきおいよく誰かがぶつかる。そして、無理やり手の中になにかをねじこまれた。
「…っ!?」
 一瞬首から下げてある護り石が熱くなる。それに気を取られて、ぶつかってきたのが誰なのか確かめることはできなかった。桜は大きく息を吸ってから、手の中をそっと開く。そこには、四つ折りにされた紙が入っていた。
「……これ……」
 訝しげに紙を開いて、桜は目を見開いた。

◇ ◇ ◇

「なーん、やっぱできとんじゃーん神代ちゃんと」
 ジャージから制服に着替えながら翔はげらげらと笑った。そのすぐ傍のベッドの上で荒い咳を繰り返していた蒼牙はむすっとした口調で返す。
「なにがだよ」
「噂どおり、かっわえーなっ眼福眼福」
「翔、その辺でやめといた方がいいですよ。蒼牙、本当に家に帰らないんですか」
 隣のベッドの方から声が聞こえ、カーテンが開かれる。その向こうでは意識を完全に失っている新が寝込んでいた。あの様子では当分起きないだろう。
 もともと蒼牙は水と相性がいいから、この程度ですんだが新はもろに身体を壊してしまったようだ。けれどもお互いにどうしても桜のことが気になり、身体を引きずりながら学校までやってきたのである。それと。
 蒼牙は口をつぐんだ。胸騒ぎがする。朝からずっとだ。
「帰らない。寝てれば治る」
「じゃあ新も同じでしょうねえ」
「彰高ーそろそろ授業行くでー。あ、ノートは期待すなな。ほななあ」
 そう言って、二人は保健室を出ていった。長く息を吐いて、眼を閉じる。熱が少しあがったかもしれない。頭痛と吐き気がひどい。最悪の気分だ。そんなことを考えているうちに、蒼牙は深い眠りに落ちていった



 
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