神の杜
5
石段は真っすぐではなく蛇行したつくりで、場所によって険しさが違った。息が上がり、周りにごつごつとした岩肌しかなくなってきたころ、前から雪路の声が響く。
「着いたよ」
桜は安堵して、顔をあげて、ぎくりと肩を強張らせた。
(……どう、くつ…?)
石段の終わりは白神神社の大鳥居よりも一回り大きい石造りの鳥居が建っていた。そして、その向こうにあるのは、本家の屋敷がすっぽりと入るほどの大きな洞穴であった。高さは北山ぐらいあるのではないかと思うほど高く、その場所だけ土や石を抉りとったように楕円型をしていた。
雪路が肩越しに振り返り、とてつもなく巨大な洞穴を見上げる。目を凝らすと、上の方に太い注連縄がかけられている。あれだけでも結構な大きさのはずなのに、とても小さく見える。この洞穴が大きすぎるのだ。
「……太古の昔、西の地を荒らす神殺しの大妖を滅した白神様がねぐらとしていた穴だよ。白蛇の姿をなさっていたらしい。この中にある社が、白神神社の本宮だ」
(へび…)
ぞくっと悪寒が背中を撫でた。それに気づかれないように桜はご神体の前で礼をする。そして頭をあげて、長兄の隣に立った。ふと、先日兄に言われた言葉を思い出す。
『祭が終わったら、巫女はしきたり通り山の社で一夜を過ごしてもらう』
「あの…兄さま」
「?」
「白祓祭が終わったら、私はここで…?」
「そう。一夜を過ごしてもらう。一晩白神様にこの地の加護を祈るんだ」
そう言いきってから、雪路は穴に向かって歩みだす。桜は慌てておいかけた。近づけば近づくほど、何かにからみつかれているような錯覚に陥る。
雪路が穴の中に入る。桜も横に並んだ。真っ暗で、果てのない闇が、そこにはあった。桜はぎゅっと袴を握る。
雪路はそんな妹の様子を横目で見てから、一つ息をついて柏手を二回鳴らした。
その瞬間ぼんやりとした明りが穴の中を照らしだす。方々に置かれた吊り灯篭に明かりが灯されたのだ。
穴の中もやはり広大で、天井はごつごつとした岩がせりだしていた。しかし足元は奇麗に石畳が敷かれている。そして、中央に小さいが、立派なつくりの社が建っていた。
ひくり、と桜は息をつめた。
(私…ここ、知ってる…?)
そんなことはない。ご神体に入ったことなど一度もないのだから。なのに、何故だろう。怖くてたまらない。ここにいてはならない。そのような気持ちが身体中を支配していた。身体中が震える。
「あれが………桜?どうした」
「あ…っ…」
雪路の瞳が自分を映す。深い、どこまでも深い闇に捕らわれる。声が出ない。呼吸もできない。視界がおぼろげになっていくかわりに、脳裏に光が迸った。
―くら―ッ!!
伸ばされた小さな手。それは血に濡れていて、自分の姿を見下ろすと、赤い鮮血が白い衣を汚していた。
悲鳴が聞こえる。女性の声だ。
彷徨が聞こえる。異形の叫び。
光が走る。真っ赤にぎらぎらとぎらつく二つの光。
大蛇だ。とてつもなく大きな蛇が目の前にいる。白い鱗で覆われた蛇体。血走った両の眼。血なまぐさいにおいが、鼻につく。突如大蛇がその巨大な顎を開き、襲いかかってくる。長い、赤い舌が身体に絡みつき、尖った牙が、首筋に――
「いやああああああああっ」
「桜ッしっかりしなさいっ」
気が付くと、桜は雪路にしがみついていた。ぜいぜいと喘ぎながら、桜はうまく噛み合わない口を震わせる。
「あ…や…へ、び…」
「…。落ち付きなさい。大丈夫。何もいやしない」
背中をとんとんと叩かれると、すうっと身体の震えが消えていく。桜は大きく深呼吸をして、濡れた瞳で兄を見上げた。
「………は、い」
「帰ろう。ここは冷える…」
肩を支えられ、歩みだそうとした瞬間、雪路が足を止めた。桜は瞬きをして兄を見上げる。雪路は剣呑な眼差しで一点を見つめ、そして懐からおもむろに扇子を出した。
「……兄さま…?」
「…ご神体に誰かが入り込んでるようだ」
扇子を開いて、横なぎに動かす。すると、月明かりに照らされて伸びた雪路の影がみるみる膨れ上がっていく。そして、いくつも分散されて夜空に飛び立った。
「…だれかが…?」
「……誰だろうねえ」
雪路は目を細めて柔らかい笑みをうかべた。冷えた光が宿っている。桜はぼんやりと月を見上げて、そして大きく息をついた。