神の杜

第 6 話 水 に 煌 く


 2

 朝練が終わってから、蒼牙は早足で四階の一年生の教室に向かった。廊下は通学する生徒や立ち止まって話を咲かせている生徒でごったがえしていた。
 人の波にもまれながら、やっと桜のクラスに辿り着く。そこで、ちょうどドアのところで話していた女生徒二人組に声をかけた。
「神代桜、いる?」
 問うと、二人は一瞬の間をおいてから、壊れた人形のようにこくこくと頷く。
「呼んでくれる?」
「は、はいっ」
 そのまま二人はこけつ転びつ教室に駆け込んでいく。蒼牙が首をかしげているうちに、桜を半ばひきずって連れてきた。桜は腕に数学の教科書を抱えながら、きょとんと蒼牙を見つめる。
「…先輩?」
「ちょっと来い。ありがとう」
 桜を手招いて、後ろの二人にお礼を言う。
 どういたしましてと言ってから(殆ど叫ぶように)二人の少女は教室に駆け戻り、女子の輪が広がっている場所に向かった。間髪入れず黄色い声が上がる。
 それから数人の男子生徒が二人をまじまじと凝視して、おかしなしぐさをしながら口々に何か言い始めた。
 蒼牙は小さく息を吐いて、目の前に立つ桜に自分の手を差し出す。
「はい」
 桜は視線を落として、ぱちぱち瞬きをした。
 蒼牙の開かれた掌にのっているのは、細い銀のチェーンに繋がれた、桜の小指の先ほどの小さな珠だ。
 目を丸くして自分を見返す少女の顔は、青白い。自覚していないだろうが、この少女になんの守りもなく日常生活を送らせるのは難しい。少しでも守りが弱まれば、そこらじゅうの邪気を寄せ付けてしまうのだ。
 手をひっぱって珠を持たせると、ますます桜は困ったような顔になった。しかし蒼牙はそれよりも、青白い顔の割に体温が高いことに眉をひそめた。
「…熱あんじゃん」
「あ…でも微熱程度ですし…えと一限の数学の小テスト受けたら帰ります」
「そ。………ぶっ倒れるなよ」
「大丈夫です。…えと先輩これは?」
 手の中の珠を差し出して、桜は首をかしげた。
「護符の代わり」
「護符の…?これ…先輩が…?」
「俺は霊力込めただけ。」
 そう返すと、桜は手の中に転がる珠をじいっと見つめてから、熱によって潤んだ瞳で蒼牙を見上げた。
「あの…」
 今にも泣きそうな顔で、桜は口を開いた。蒼牙は片目を眇めて、片手をあげる。
「俺に悪いとか思うなよ」
「…え…あ…」
 桜は言おうとしていた言葉を飲み込んで、数秒の間俯いてから、顔をあげた。少しはにかんだような笑顔を浮かべて。そして大事そうに珠を胸に持っていく。
「ありがとうございます…大切にします」
 花がほころぶようなその微笑みに、少し虚をつかれて、蒼牙は目を瞠った。なんとなく視線をそらして廊下の窓から見える中庭を見下ろす。
「あの…?先輩…?」
「ん?あ、おいはやくつけろよ」
「へ?」
「…。ほら貸せ」
 首から下げられるように珠に細い銀の鎖をつなげたのだ。さげてくれなければ、効力は半減する。
「髪邪魔。あげて」
「は、はいっ」
 もたもたと髪をひとつに纏めて、桜は上に持ち上げた。それでも細い髪は砂のように零れる。引っ張らないように気をつけながら、蒼牙は桜の首の後ろに手をまわした。
 桜は頬を朱に染めて、俯いている。長い睫が震えて、その奥にある琥珀の瞳はどこまでも透き通っていた。顔貌は穏やかな気性を映し出したかのように整っている。
(…結構、可愛いんだよなあ)
 そんなことを考えながら最後に神呪を詠唱して、桜の額に印を結ぶ。それから蒼牙は桜から手を離した。術が完了していることを確認し、蒼牙は一つ頷いた。


 さて。所変わって桜の教室。
 篠田悠は大変な目にあっていた。扉の前にたまっていたクラスメートがかわるがわる机にやってきて、同じような質問を投げかけてくるのだ。
「ゆ、ゆうちょっなんで桜ちゃんと東海先輩が一緒にいんのよ!?」
「あの二人、どういう関係なんだよ篠田!」
 などなど。
「桜もやるわねえ」
 前の席の椅子にすわって、遼子がこぼした。その目はきらきら輝いている。あとで興味津津桜から聞き出す気満々なのだろう。
 悠はいらいらと机を指で叩きながら、廊下の方を睨んだ。二人の姿は見えない。無性にいらつくし、野生の勘でできれば桜にあいつは近づけたくない。けれども護身云々のはなしとなると、別だ。我慢我慢。
(…ていうか)
「場所えらべよなあ東海…」
 あいつは恐ろしく無自覚なところがある、と幼馴染が漏らしていたことを、ふっと思い出す悠である。窓を見上げれば、雲一つない青い空が広がっていた。

-第6話「水に煌く」終り-



 
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