神の杜
1
恐ろしいほど静かな杜に抱かれた室で、淡い藤色の衵を重ね、蘇芳色の袴を召した少女が端座していた。輪郭は判然としない。昼だというのに部屋の中は薄暗かった。陽の光は天井に近い壁に造られた格子窓からのみ注ぎ、反対側には地中深くまで太い鉄格子がはめられている。火鉢が置いてあるが、冬の寒さがとくにひどく感じられる場所だった。
まだ十歳にもなっていないと思われるいたいけな少女が、いるべき場所でないことは、一目瞭然であった。
だが、彼女は生まれおちてよりここから出してもらったことはなかった。そして、当然のこととして受け入れて過ごしていたのである。
いつものように人形遊びをしていると、かたりと小さな音が聞こえてきた。そして、誰かの息をのむ気配も。
少女は鉄格子の向こうに目を凝らし、見慣れない少年がたっているのを見て、首をかしげた。
「…だあれ?」
問いかけると、少年は鉄格子に近づいてきて、それを見上げてから、片膝をついて少女と視線を合わせる。
少女は好奇心にかられて少年に近づいて彼を覗き込む。彼女よりは三つ以上年上と思われる少年の顔立ちは目鼻立ちがはっきりしていた。
見事な黒髪を下げ角髪にし、水色の水干を纏っている。彼の涼しげな容貌を見て、絵巻物で舞を舞う童子のようだ、と少女は思った。
「………おぬしこそ、誰だ。何故、このようなところにおるのだ」
口調はぞんざいだが、問いただすような声色ではない。むしろ、好奇心が垣間見えるものだ。
少女は瞬きをしてから困ったように少年を見つめた。
「わたくしのなまえは、とてもたいせつだから、ちちうえがどなたにもいってはいけないって…」
「……おぬし、神代家の姫か?」
それなら答えられると思ったのか、少女は顔をほころばせた。
「そうです」
「…怖くはないのか」
「こわい?」
少女はことんと首を傾げた。少年はむうっと顔をしかめてから、息を吐いた。
「まあ良い。私の名前は……」
そう言いかけてから、どこかで誰かの泣き叫ぶ声が響いた。あまり近くはない距離だが。
ふいに少女は肩をちぢこませた。
「はやくおかえりになったほうがいいです」
「え?」
囁くような少女の声に、少年は首を傾げる。少女はおそるおそるといったふうに付け加えた。
「おこられます」
「…だれに怒られると言うのだ?」
少年は無意識に少女の髪に触れた。少女はびくりと肩を震わせてその身をすばやく座敷牢の奥にひっこませた。
「…はやく」
唇をかみしめて、何かに怯えているような少女の姿に違和感を感じたものの、少年は気持ちを切り替えて立ち上がり、立ち去ろうと踵を返した。が、思いとどまって首をめぐらし、薄闇に一人で座っている少女の顔を見つめて、晴れやかな笑顔で言った。
「わたしの名は、きよまさ。――清雅だ」
それだけを言うと、少年―清雅は風のように去っていた。少女のもとに、甘い水の薫りを残して。
足音が完全に聞こえなくなる。格子窓を見上げるといつのまにか雪が降ってきていた。しんしんと雪が降り積もる音が聞こえてくる。
少女はこくり、と息をのんで、小さく、ほんとうに小さく呟いた。
「きよ、まさ…さま?」