神の杜

第 4 話 合 縁 奇 縁


 2

「……小さなころ、ふと気付いた時にはもう自然に邪気を寄せつけるようになっていました。原因は、どなたにも分からないそうです」
 桜は慎重に言葉を選びながら話しきると、唇を噛んで少し俯いた。
 話すために、昔の記憶を呼びおこしたために、心が沈んでいく。誰かに話すなんてことは今までしたことがなかったのである。周りの人間がみな桜のことを知っていて、あえて何も聞かずにいてくれたからだ。
 そんなことは露知らず蒼牙は眉をひそめた。異形と関わる世界にいるのだから、原因のわからないものがあるのはそう珍しくない。
 だが、当主である雪路は、術式に関しては百年に一人とうたわれる御仁だ。彼女の奇妙な体質に疑問を抱き、解決できるほどの力量をもっていてもおかしくはないのに。
 蒼牙は迷路に陥りそうな思考をどうにか切り替えて桜を見据えた。
「で、退魔術を取得できないのは?」
「……体が弱いから、です。確かに、血は濃いので霊力はあるかもしれません。けれど、力を解放すれば……私の場合死にいたります」
「邪気を退けようにも、退魔術が取得できないわけ、ね。」
 桜はこくんと頷く。袖からのぞくか細い腕は青白く、とても健康的とはいえないものだった。
(八方ふさがりってやつか)
 蒼牙は小さく息をついて、俯いて唇をかんでいる桜を見つめた。今にも泣きそうな顔をしている。蒼牙は口をへのじにまげて、空を仰いだ。別にそんな顔させたくてきいたんじゃない。
「……気になってたんだけど」
 おもむろに手を伸ばし、蒼牙は桜の手をがっしり掴んだ。びくんと桜の身体がはねあがる。
「きゃあっ?!」
「触られるのもなんかあるの?」
 頬を真っ赤にそめて、じたばたしている桜を見ながら、蒼牙はにやにや笑った。言わないと放す気配がないので、桜はほとんど叫ぶようにまくしたてる。
「…っそのひとの、強い記憶が見えちゃうんですっなにかあると思うなら触らないでくださいっ!!」
「悪い悪い。でも平気、みたいだな」
 その言葉に平静を取り戻し、桜はぱちくりと瞬きをした。そして、掴まれている手を見下ろす。
「え…?あ…あれ?」
 いつもならば、すぐに電流のようなものとともに記憶が入り込んでくるのに。心臓は暴れているものの、まったくそんな気配はない。
「…ほら」
 ためしに蒼牙は桜の頬をぺちぺち叩いて思いっきり伸ばした。
「いひゃいっはにゃしてくだひゃいっ」
 頬をさすりながら桜は真っ赤な顔で蒼牙を睨む。蒼牙はそれには意に介した様子も見せず、腕組みをした。
「なんか状況とかあるんじゃないの?」
「わ、わかんないです…あ、でも…兄たちと…、新兄さまは平気です…」
「…ふーん」
 蒼牙は不機嫌そうに返事をした。桜は小首をかしげる。
「先輩?」
「や、なんでもない。退魔術取得する奴は常に精神統一できるのが第一条件だからな。それでじゃん?」
「へえ……」
 なるほど、と桜がうんうんうなずく。言われてみれば確かにそうだ。心の波が激しい人ほど見えやすいのかもしれない。
 桜は蒼牙の言うことにいちいち素直に納得していた。その様子に、蒼牙が小首を傾げる。いくらなんでもこれは知らなさすぎではないだろうか。
「…なあ兄貴二人退魔師なのに知識だけとか教えてもらってないの?」
「えっ?教えてもらってませんけど…?」
 逆に驚いた声で返されて、蒼牙は瞬きをした。
「……兄たちには、迷惑掛けてばかり、だし…」
 桜はぽつりと言った。その声がたまらなく寂しそうで、蒼牙は胡乱気に眉をひそめる。
「迷惑?」
 桜は手の中にある緑茶の紙パックを握り締めて、苦笑しながら続けた。
「一族では、わたし邪魔者、だから……。あっだから、今回の神楽で、兄たちに少しは御恩返しできるかなって…ずっと迷惑掛けてたから、一度だけでも…妹って認めてもらえたらって…」
 最後の方の言葉は蒼牙は聞いていなかった。
「おまえ、ばかじゃないの?」
「…へ…?」
 蒼牙はまじまじと呆けている桜を見つめてから、続けた。
「なんで兄妹同士で気ぃ遣うの?変だろ」
 びくり、と桜の肩が震える。
「……そう、ですね」
 そのまま俯いてしゅんとなる桜の顔を覗き込んで、蒼牙は口をへの字に曲げた。別にこんな顔させるために言ったわけじゃないのに。さっきもそうだったが、どうして自分はこの少女にこんな顔をさせてしまうのだろう。そう思うと、無性に胸がざわざわした。
 うんうん唸っている少年と明らかに沈んでいる少女。そして背後には見事な夕日。どうもおかしい組み合わせだが、突っ込むものなど誰もいない。結局自力で黙考から帰ってきた蒼牙が沈黙を破った。
「………まあ、いいけど。帰ろ」
 さっと立ち上がり、食べた袋をゴミ袋に入れ抱えて蒼牙は梯子にむかっていく。あまりにも敏捷な行動に、桜は一瞬呆けてから彼を追いかけるべく慌てて立ちあがった。
「まってくださ…っきゃあっ」
 わたわたと立ち上がった拍子にひどい眩暈に襲われて、桜は身体の重心を崩した。しかも運悪く身体が傾いだのは中庭の方だった。
「桜ッ」
 蒼牙は慌てて腕を伸ばして、桜を引き寄せる。そのまま二人揃って後ろに倒れこむ。そして、ごつんと鈍い音が響いた。
「いっ、たあああっ」
 なんとか桜が落ちるのは防げたものの、二人仲良く地面に頭をいきおいよくうちつけてしまったために、桜と蒼牙は頭を抱え込んでしばし悶絶した。しばらくしてふいに二人の視線が繋がる。蒼牙も桜も壮絶な痛みのために涙目になり、髪もぐしゃぐしゃになっていた。
 間。
「…ぷっあははははっ」
 なぜか無性におもしろくて、桜と蒼牙は同時に噴き出した。一旦襲いかかってきた笑いの波はなかなか途切れることはなく、陽が完全に暮れるまで二人は笑い転げた。
「あー、腹いてえ」
「わ、わたしも…っ」
 蒼牙は目尻の涙をぬぐいながら、口元に手を添えてくすくす笑う桜を見た。
「……お前、もっと笑った方が良いよ」
「え?」
「なんかいつもしみったれた顔してるからさ。そっちの方が断然良い」
 ぱっと頬を染めた桜のことなど気にも留めず、何気ない顔つきでさらりと蒼牙は言った。それから、何度も瞬きを繰り返している桜を怪訝そうに見つめて、そしてもう一度楽しげに笑った。
-第4話「合縁奇縁」終り-



 
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