神の杜
1
がこん、と自販機が揺れる。息をひとつはいて、桜は「100%牧場印!身長が足りないきみに」といううたい文句が描かれた紙パックを取り出した。片手にぶら下げている紙袋にそれをいれて、踵を返す。
あの少女のポシェットはやはり時計の針の奥に落ちていた。そのなかには赤いハート型の石がついたブレスレッドが入っていて、桜はしばしそれをじっと見つめてしまった。
我にかえってから下に戻ると、蒼牙が銅像の下に体育座りをして待っていた。
ちんまりとしたその姿がなんだかおもしろくて笑いそうになったが、どうにかそれをこらえて傍に行った。
それから蒼牙に学院長に渡せば良いと言われ、そのとおりにして、ついでに蒼牙のリクエストのパンと牛乳を買いに来たのだ。
「うー屋上まであがるのかあ」
桜はうでまくりをするが、羽織っている蒼牙の学ランの袖はずるりと下がってきてしまう。脱ぎたいが、蒼牙に死にたくないなら脱ぐなていうか脱いだらシメるぞと言われたので脱げそうもない。さっき蒼牙の霊力が大分削がれてしまったので、新たな結界を桜に施すのは無理になってしまったのだ。
パンがごろごろ入った袋を抱えながら、桜は中等部校舎の屋上に向かっていた。なるべく人に聞かれたくない、という桜の要望を受け入れた上で指定された場所だ。
指定場所に文句はない。むしろ安心するが、普段は開いていないはずの屋上の鍵を、なぜ蒼牙があけられるのだろうと疑問に思ってしまう。けれども 蒼牙は答える気はなさそうなのであえて桜は聞かなかった。
屋上の入口を開けると、夕焼け色にそまったコンクリートの床に迎え入れられた。まだ少し冷たい風に上気していた頬の熱が冷めていくのを感じながら、桜は少年の姿を探した。
「こっちこっち」
ふいに頭上から声が落ちてきて、桜は瞬きをして上を見上げた。屋上の入口の上からひらひらとゆれる手が見えた。
「…えと…」
「すぐそこにハシゴあるから」
言われたとおりに回り込むと、古びた梯子がかかっていた。少し好奇心がわいてきて、桜はためらいなくそれに手をかける。さすがに登っている間は下を見れなかったが。
「高いとこ好き?」
寝ころんで空を見上げていた蒼牙が問いかけると、桜はこわごわ下を見回してから顔をほころばせた。
「はい。大好きです」
小さなころ、よく家に遊びに来ていた新や悠と一緒に木登りをしたことがあった。高い所からいろいろな景色を見ると嫌な気分が消えていくような気がしたものだ。
「あー腹減った」
その声で回想から戻り、桜は抱えていた袋からまず牛乳を渡して、床の上にパンを転がした。
「どうぞ」
「助かったー」
心底安堵した表情を浮かべて、蒼牙はパンに手を伸ばした。
「霊力って、食べれば補充できるものなんですか?」
みていて気持ちの良いくらいばくばくと食べる蒼牙を見ながら、桜は聞いてみた。蒼牙は牛乳をのんで口の中のものを流し込んで、次のパンの袋を開けながら答えた。
「まあそこそこは。大部分は体力補強になるけど」
「ほかに方法あるんですか?」
「そうだな。できるなら血液とか…」
そこまで言ってから、不意になんともいえない顔になって、蒼牙は黙りこくった。
「?」
「…あ、お前もなんか食べなよ」
「いえ…私は…」
桜はふるふると頭を振った。だいぶ収まってはいるものの、吐き気や眩暈が身体に残っているので、とても物を食べる気にはなれなかった。蒼牙はふいに真面目な顔つきで言った。
「癒しの術使ったって何したって、やっぱり食物摂取が一番なんだ。食べないと余計に気分悪くなるぞ」
そういうものなのだろうか。小さなころからこの状態になると、悪い時は三日は何も口にできなかった。食べればもっと気分が悪くなると思っていたからだ。
だが、目の前に座る蒼牙の顔色がだんだんよくなっていくのをみて、桜はその言葉を信じてみたくなった。
「……じゃあ」
「渋柿クリームパン…」
蒼牙は眉をひそめて桜の持っているパンと桜を見比べた。桜はきょとんとしてから当然のように返す。
「大好物なんです」
普通の女子中学生だったら、クロワッサンとか、イチゴジャムのパンとか食べるものではないのだろうかと蒼牙は思ったが、それは個人の嗜好の問題なので口を閉ざした。
しばらくもくもく食べ続けていると、なんだか吐き気や眩暈がおさまってきたので、桜は素直に驚いた。
(なんだ、食べれば収まるんだ…)
桜の白い頬にほんのり朱が走るのを見とがめると、蒼牙はこほんと咳払いをした。
「んじゃ、どーぞ」
「へ?」
「へ?じゃないよ。君の力の話」
蒼牙はたてていた片膝をおろして、正座をした。桜もなんとなく姿勢を正して、蒼牙と向き合う。そして、大きな深呼吸を三つしてから、ようやく言葉を紡ぎ始めた。