神の杜

第 3 話 四 つ 辻 の 怪


 4

 ふと我に返ったとき、桜は薄闇にくるまれたどこかの教室にいた。そして、目の前にはうずくまって泣きじゃくる少女がいた。
 桜は屈みこんで少女を覗き込む。
「おねえちゃん、ごめんなさいっごめんなさい…っ」
 必死で謝る少女の頭を撫でて、桜はふわっと笑った。
「大丈夫だよ。だって、あのまま消えるのは嫌だったんでしょう?」
「おうちにかえりたい。かえりたいよお…」
 ぼろぼろと大粒の涙をこぼして、少女はただそう訴えた。
「…ほかの子も、みんなおうちに帰りたがってるの?」
「うん…でも、あそこにしばられて、かえれない。さっきは、あのおにいちゃんこわくて、それで…」
 桜は一つ一つに丁寧に頷いた。
「わかった。でも、大丈夫だよ。家に帰してあげる。」
「ほんとう…?おねえちゃん…」
 そういうと、少女は顔をあげて、桜に抱きついた。
 そのとき桜の身体中に電流のようなものが迸り、次に頭の中に映像が入り込んできた。


 夕暮れだ。時計台の入り組んだ仕掛けに、黄色いポシェットが挟まっていた。小さな手がそれに伸びて、そして。

 ――痛い。痛い。苦しい。息ができない。
 ――お母さん。お母さん助けて。

 次に現れたのは真っ暗闇だった。どこへいけばいいのかわからない。
 家に帰りたい。それで、お母さんにあれを渡さなきゃ。ただそれだけなのに。
 どうして。どうして帰れないの。おかあさん、おかあさ――

◇ ◇ ◇

「神代!引きずられるな!!」
 怒号が響き渡り、頬に熱のような痛みが走る。桜はその拍子に目を覚ました。
「……あ……」
 瞬きをすると涙が頬を零れ落ちる。滲んだ視界にみえたのは、焦ったような表情を浮かべる蒼牙だった。
 息を整えながら辺りを見回して、桜は蒼牙に視線を戻した。
「えっと…」
「おまえ……引きずられると、戻ってこれなくなるよ」
「ご、ごめんなさい…」
 蒼牙は息を整えた。そして、しゅんと項垂れている桜を見る。
 術師にしろ何にしろ、自分の記憶ではないものに引きずりこまれそうになると、拒絶反応が起こって暴れてしまうのだ。果ては自分の身体を引っ掻いて、傷つけもする。だから、暴れる桜の身体を押さえつけていたのだが、体格が同じな上、我を失った者の抗う力は強かった。
 蒼牙の頬に裂傷が走っているのを見て、桜は申し訳なさでいっぱいになった。
 いまにも泣きそうな桜の顔を見つめて、蒼牙は長々と嘆息し、手を伸ばした。
「……っ?」
 桜の額に触れて、蒼牙は何事かを呟く。すると、いつかのようにすうっと気分が落ち着いた。
 ぱちぱちと瞬きをしている桜の顔色を見て頷いてから蒼牙は立ち上がる。
「…さてと。結界も切れそうだし、ぱぱっと一掃してくるか」
 立ったとたんに眩暈がして、蒼牙は軽く舌打ちした。
(へぼな術ばっかだけど。連続して使いすぎた…。でも、呪符は一応七枚残ってるし。大丈夫大丈夫)
 と自分に言い聞かせていた蒼牙の制服の裾がふいに引っ張られた。
「…なに?」
 見下ろすと、すがるような眼の桜がいた。
「あのっ先輩は浄霊をできないんでしょうか?」
「はあ?」
 すっとんきょんな声を出されて、桜はうっと詰まったが続けた。
「除霊じゃ、あんまりにもかわいそうです。皆お家に帰りたがって…」
「ついさっき邪気に食い殺されかけてた奴の台詞か?それ。」
 呆れ果てた顔で見られ、桜は眉をひそめた。確かに、それはある。でも。
 ――帰りたい。おかあさんにあいたい
 ただそれだけを繰り返していた少女の声が、耳の奥に残っていた。
 桜はきっと眉を吊り上げた。
「………できないんですか?」
「…なんだって?」
 ぴく、と蒼牙の眉間の皺が一本増える。桜は負けじと言い返した。
「東海家でも名を馳せる退魔師って言われてたじゃないですか」
「それとこれとは」
「新兄さまはできるのに…」
 この場にいない幼なじみの日下新。彼も実は退魔術を行使できる。もっぱらあの性格が功を奏して浄霊専門なのだが。
 これにも蒼牙が反応した。しばらく無言のにらみ合いが続き、桜が呼吸を十数えると、蒼牙が頭を乱暴にかいた。
「……あーっわかったよ!そのかわり!」
 びしっと指でさされて、桜はびくりと肩を震わせた。
「おまえが邪気を寄せ付ける理由、教えろ」
「……え……」
 桜の顔色が変わる。蒼牙は片膝をついて、桜をまっすぐ覗き込んだ。
「さっき七人の邪気がお前に寄って、膨張してたじゃん。…あと、退魔師の修行ができないっていったよな?だけど、霊と同調できるのは相当の霊力がある証だ。なのにどうしてできないのかも知りたい」
「…、それ、は…」
 蒼牙の情け容赦ない視線から逃げるように視線を泳がす桜の手から裾を離させて、蒼牙は冷笑を浮かべた。
「…へえ何、俺にただ働きしろって?だってお前退魔術も鬼術もつかえないよね。大人しくここにいてほしいけど、邪気寄せつけるからそれもできないじゃん。……ってことは、俺がお前を守りつつ七人全部浄霊するんだよな。あー辛い。きついなあ。もしかしたら術式跳ね返って俺死んじゃうかも」
 澱みなく息つぎもせずに言い切る蒼牙に唖然としながら桜は慌てて応えた。そんなに大変なものだとは思っていなかったのだ。
「ご、ごめんなさいっ話します!!ちゃんと!」
(そうだ…私、何もできないんだった…)
 自己嫌悪に陥りそうになり、桜は唇をかみしめた。そんなことなど露知らず、蒼牙は愉快そうに付け加えた。
「プラス、学食のパンと牛乳奢りね」
「……へ…?」
「霊力大量消費したあとは腹が減るの」
「…わかりました」
「交渉成立」
 そういって悪戯っぽく笑った蒼牙の顔は、今までで一番、あの夢の男の子の笑顔に近かった。
 そんなことを頭の隅で思うが、桜は首を振ってそれを忘れるようにした。



 
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