神の杜
2
「子供の幽霊〜?」
悠は胡乱気に声を上げた。その手は大盛の狐うどんに七味をどっさりかけるために仕切りに動いていた。
桜は紙コップに入った緑茶をすすりながら悠の手元を凝視している。その二人の前に座った少女・遼子は瞬きをして悠を見た。
「あれ?知らないの?」
遼子はそう言ってからフォークに刺したソーセージを一振りして口に運ぶ。
三人がいるのは中庭のテラスだ。中等部と初等部の学食堂に隣接しており、まわりはにぎやかに昼餉を食べる生徒でごった返していた。
遼子は口元をなめてから、指でななめ上を指した。
「ほら、中央回廊」
この千京学院は全国で五指に入る設備と伝統を兼ねそろえている。
広大な丘の上に立つ学院は、初等部から高等部の教室やら特別室やらが設置されている四つの棟がある。
その四つの棟の中継地点が中央に建つ中央棟である。だだっぴろい中庭の空中にそれぞれの棟が中央棟二階へ回廊をつなげているのだ。それが中央回廊である。
「どこの棟の回廊かは分かんないんだけどー、夕方になると小学一年生くらいの男の子が柱からひょっこり出るんだって」
桜は千京学院のシンボルである大時計が設置された中央棟を見上げた。
丁度太陽が真上に来ているために窓などは判然としなく、虚栄な輪郭だけがくっきりと見えた。知らずぞくりと背筋が震える。
「何かされるの…?」
桜が怖々と尋ねると、遼子は軽い口調で応えた。
「ただこっちみて笑ってるだけだって」
「充分怖いわ!!」
悠がくわっと叫ぶように言うと遼子は声をあげて笑い、立ちあがった。
「そう?デザートとってくるよ。何が良い?」
「…じゃあ、バナナケーキと、マンゴーと、チョコムースケーキと、タコ焼きと」
指を折り折りリクエストをあげる悠の前にはいつのまにか空になった大盛りのきつねうどんin七味地獄がけがあった。遼子はそれを見ながらひくりと口をひきつらせた。
「デザートつってんでしょ。太るわよ」
「じゃあ、バナナケーキとタコ焼きだけにする」
それは日本語としてあっているのかどうか甚だ疑問な遼子だったが、気を取り直して桜を見た。
「桜は?何が良い?」
桜は少し考えてからぱっと花が咲いたように笑った。
「それじゃあ甘納豆っ」
「「……」」
「どうしたの?」
(その可愛い顔で甘納豆…渋いわ)
(せめてまんじゅうとかさあ。昼飯もざるそばだし…)
胸中に色々とうずまく言葉があるのだが、二人はあえて口を閉ざした。そもそもデザートがどんだけあるんだこの学校は。という疑問は割愛。
放課後、桜は小走りに廊下を進んでいた。
持って生まれた類希な運動神経を買われてテニス部に拉致された悠の試合が、あともうちょっとで始まってしまうのだ。
十分余裕を持って見に行けるはずだったのに、おりしも地学担当の担任に、備品整理を頼まれてしまったのである。
(教室に残ってるんじゃなかったなあ)
小さく息をついてから、桜はふと足を止めた。ひやりとした空気が首筋をなでる。
「…しまった…」
ついいつもの癖で中央回廊を目指してしまったのだ。
中等部のある東校舎から校庭にいくときにはいつもこの道筋を通っていたからである。
嘆息して、桜は踵を返そうとした。しかし、小さな声が自分を呼びとめた。
「おねえさん」
幼児特有の高い声に、びくりと肩を震わせて、桜は後ろを振り向いた。
教室から小学二年生くらいの女の子が顔を出している。
(噂では、男の子…だったよね…じゃあ平気だ)
胸をなでおろして、桜は少女に近づき、視線を合わせるように腰をかがめた。
「早く帰らなきゃダメだよ。初等部の子はもうとっくに最終下校過ぎてるんだから」
たしなめるように言うと、女の子は二つに結ったおさげを揺らして、俯いた。
「……だって……おかあさんが作ってくれたポシェット、なくしちゃったの」
かぼそい声に、桜は優しく笑った。
「そっか。それで探してたの?」
「うん…あれがないとかえれない…」
その言葉に、桜は首をかしげた。
(鍵でもはいってたのかな?)
「あと、どこを探してないの?」
少女は躊躇ってから、つい、と中央回廊を指差した。
「あそこ。…ひとりじゃこわくて…」
そう言って、少女はすがるような目つきで桜を見た。
(…どうしよう…)
知らずポケットを抑えてしまう。この護符があるから、きっと多少の霊ならば大丈夫だろうが。
(……浮遊霊、とかだよね…。お兄ちゃんもなにも言ってなかったし)
問題のある怨霊などだったら、兄が釘をさすはずだ。そう考えてから、桜はふうわりと少女に微笑みかけた。
「じゃあ、お姉ちゃんが一緒に行くよ」
「ほんとう…?」
ぱっと顔を輝かせた少女に頷いて、桜は立ち上がった。逡巡してから、ポケット越しに護符に触れる。
そうしているうちにも少女はとたとたと中央回廊に進んでいった。
二人に増えて不安が消えたのだろう。桜は小さく笑って彼女を追いかけた。