ヒメサマのい・う・と・お・り

第16話 朱いララバイ




 アルが目覚めたとき、空はまだ深い未明の青をしていて、鳥も鳴き始めていなかった。頭をぽりぽりと掻きながら、ここはどこだろうと考える。自分たちの寝室によく似ているが、違う。それに自分の腹の上で、例の白子の魔道師……名前はカシスと言ったはずだ。彼が眠っている。
 あれほど憎まれ口を叩いていたのに、寝顔は子供のようだった。
「……」
 彼は自らが演じているペルソナに反して、魂は実直なのかもしれない。お互い、名前も知らないまま出会って、俺は二度も助けを呼んで、二度も彼は助けに来てくれた。
 例えそれが、ある種の目的を翳したものだとしても、だ。
 そうして今は、まるでリィンやエクルーがそうしてくれるように、自分についていてくれたらしい。これはどういう因果で、どういう“絆”なのだろうか。
 アルは寝息を立てるカシスの真っ白な髪をそっと梳いた。

 ――この髪、なんだろう……な。

一目で彼を信用してしまった要因。真っ白なこの髪と、血の色をそのまま映し出した朱い瞳。

 教団の地下で訓練を受けていたとき、2つ下くらいにカシューという少年がいた。埋め込まれた石の作用を強く受けて、髪は完全に白髪になり、眼は赤かった。石の別名”アルビオン”を実感した瞬間だ。俺も色が抜けたが、カシューほどじゃなかった。そしてカシューほど、石で力が増幅されたわけじゃなかった。俺は石を埋め込まれる前から、もともと隣の衛星に飛んでそこの石を拾って帰って来られるくらい強かった。だから、それほど強い支配を受けずに済んだのだ。
 その分、強い意識コントロールを受けることになった。俺は自由に口を利くことも、表情を作ることもできなかった。そんな俺を、弱虫のカシューがずっと気遣ってくれていたのだ。俺のために、俺の代わりに、よく泣いてくれた。仮面の裏の、爆発しそうな俺の感情を、代わりに解放してくれていた。
 命じられるまま、人を殺し続けた……カシューがいなかったら、俺はとっくに狂って死んでいただろう。むしろ喜んで。
 あの時、まだ訓練生のカシューが俺につけられた。今考えると、俺が怖気つかないための囮だったのだろう。標的は城砦都市をまるまるひとつ。もちろん、町を囲む城砦に兵士がいる。だが守られているのは普通の市民・・・女子供だ。大した戦力のある砦でもない。ただ不運にも戦略上重要な位置にあっただけだ。そして、このときの俺の攻撃は、”石の子供”を各国に売り込む、最大のデモンストレーションだったのだ。


「まだ始まらないのかね。日が高くなると暑くてたまらん」
 どこの国だか知りたくもない、やたら階級章をじゃらじゃらつけた太った軍服の男が言う。
「そろそろですかね。ほら、第三師団が帰って来ました。生意気にも奇襲の準備なぞしているのですよ。これでごく少数の兵の他は、すべて城砦の中に揃いました。一網打尽です」
 教団の教師が、冷酷に言った。
「どうでもいい。さっさとやってくれ」
「では、始めましょうか」
 それからのことは、よく覚えていない。教師がカシューののどにナイフをつきつけ、俺に城砦の破壊を命じた。一瞬で根こそぎに吹っ飛ばせ、と。俺はためらった・・・ためらっているうちに、愁嘆場に飽き飽きしたのか、太った軍人がカシューの頭を打ち抜いた。
 教師が憤慨した。「何てことを!脳だけは無傷で残していただきたかった。貴重な研究材料なのですよ?」・・・そして俺は爆発した。

 城砦都市も教師も軍人も何も残らなかった。
 アルは自分の左腕ごと、石をもぎ取った。そうして激しい錯乱状態で嵐を巻き起こし、結果的に教団から逃れることが出来た。他の“石の子供”を置き去りにして。
 随分、後になって、アルはカシューの腕に埋め込まれていた石を見せられた。それだけが唯一の形見だった。けれども、アルはその石に触ることも出来なかった。
 名前のよく似たこの彼が、この髪で、この瞳で。憎まれ口を叩いていると、カシューがアルの知らないところで育って、こうして自分の前に現れたのではないかと、少し嬉しくなってしまうのだ。
 勿論、ただの勝手な感傷だと分かっている。きっとカシスの方も迷惑なだけだろう。
 ふと手を伸ばして、彼のだらんと伸びた左袖に触れる。何もない。肩口に触れるとようやく温かな肉体の感触があった。
 唐突に、不安に襲われる。ひょっとして、この青年も自分と同じなのか? いや、そんな馬鹿な……

「……元気になられたようで何よりです。よく眠れましたか?」

 部屋の暗がりから涼やかな声が響き、アルははっと肩を震わせる。物思いに浸っていて、他の人間がいるのにも気がつかなかった。
 そちらを振り向いて、一瞬、エクルーかとも思ってしまった。漆黒の髪に、極スマートな涼しい表情と佇まい。しかし、髪は彼より長めで流麗に揺れ、声には彼のような無邪気さが欠けている。青少年らしい眩しいまでの未来を感じるたくましさと、伸びやかさがない。淡々と、穏やかだが、深い静謐なアルト。
 その声の印象に引きずられて、アルには、彼の外見の異様さが目に入って来なかった。
 黒装束に包まれ、さらに無数の包帯によって覆われた、一見すると華奢な身体。外見よりも、その痛みを感じて、アルは表情を歪める。

「君の方が大丈夫じゃなさそうだ。大丈夫かい? 彼が必要なのは、俺じゃなくて君だったのにね」
「……」

 少年は一瞬、虚を突かれたように息を飲んだ。それからかすかに笑う。

「……失礼しました。昨日の昼間も似たようなことを言われたもので……。そんなつもりはないのですが、僕はそんなに苦しそうに見えますか?」
「ああ」

 アルが頷くと、少年は苦笑して、ただ一言「修行が足りないな」と呟いた。
「あ、じゃあ、昨日の昼、リィンを助けてくれたのは君なんだね? 俺からも礼を言わせてくれ。俺はアルだ。リィンと同郷で、ヤツの付き添いだ。
 もっとも、昨日、俺がぶっ倒れてからヤツの方が付き添ってくれてたんだが」
「麗しい友情関係です。大事になさった方がいい」

 呟くように言った少年の言葉には、一片の寂しさと孤独が混じっていた。
 少年は片眼であることが惜しくなるほど美しい瞳をふ、と伏せてかつかつとアルの座るベッドの脇まで進み出る。
 そしてまだ眠っているカシスの寝顔を観察し、小さく肩を竦めた。

「……あなたは何者ですか?」
「は?」
「正直、驚きました。彼が他人の前で、しかも寝床を共にして。ここまで寝入っているなんて」
 少年の声にはやや安堵したような、不思議な感情が混じっていた。しかし、まじまじと寝入っている白子の魔道技師を、眉間に皺を寄せて眺める様を見ると、本当に意外に思っているようだった。
「ああ……たぶん、俺が寝惚けてベッドに引き摺っちまったんだと思うが」
「そうではないのですよ」
 少年は眉間に皺を寄せるのをやめて、ふるふると首を振った。
「彼は就寝時……まあ、それに限ったことではないのですが……。
 他人の手や肌が自分の身に触れてくることを極端に嫌います。特に男性の場合は。それが、他人と一緒のベッドで寝るなんて、まず考えられません」
「そうなのか?」
「ええ」
 少年は、「僕の知っているカシスなら、例えあなたの喉首を裂いてでもベッドから追い出します」と些か物騒なことを言った。アルは眉をひそめる。少なくとも、カシスは二度、アルの身体に触れて助けてくれたし、今も蹴り飛ばしもせずに大人しく眠っている。
 それが、この少年に言わせれば、在り得ないことなのだそうだ。
 ふと、少年が顔を上げた。アルの左腕に巻かれた、カシスの護符へ目を留める。

「……それは彼の符ですね?」
「ああ、そうだ」
「何か、左腕にお怪我を?」
「……義手なんだ。左手は、まあ、ちょっとな」
「……なるほど」

 少年は驚くでもなく、ただ淡々と頷いた。そして何かを思案するように天井を見て、数度頷く。
「……出来れば、そっちだけで納得しないでもらえると助かるんだが」
「ああ、失礼。いえ、何となく、貴方が誰かに似ているなと思っていたのですが――そうか、ベルサウス老に似ているのか……」
「? 誰だ?」
 唐突に少年が口にした名前に首を傾げる。聞いたことのない名前だ。少年はもう一度、やや居た堪れないような表情でカシスを見た。
「彼がこの世で唯一、敬愛している――いえ、敬愛していた育ての親の名前です」
「……敬愛していた?」
「……既に他界していますから」
 少しだけ躊躇って言った少年に、アルは顔をしかめる。
「ああ、そうなのか……。唯一?」
「……あまり僕が口にしていいことではないのですが」
 溜め息混じりに前置いて、少年は言葉を選び出す。まだ白んでもいない東の空を見上げ、表情を険しくさせると、
「……詳しくは知りませんが、彼は子供の頃に、やや辛い経験がありましてね。すっかり他人を信用しなく、いえ、信用できなくなってしまったのですよ。
 誰かが温もりと優しさを与えようと手を伸ばしても、その裏側に途方もない悪意があると思ってしまう。……心の悪い風邪です。悪質な」

「……」
「その彼でも、一度だけ他人を信用して敬愛したことがありました。それが、十歳からの十年間、彼を育て上げた魔道技師のベルサウス老です。
 ……でも、それも昔の話です。悲しい事件がありましてね。カシスは、唯一の保護者だったベルサウス老ですら自分を裏切ったと思ってしまった」
「……そいつは、本当にカシスを裏切ったのか?」
 少年は無言の後にゆっくりと首を振った。アルはそうか、と呟いて今だ眠ったままの青年に目を落す。
「あなたはベルサウス老に少し似ている。容姿や年齢は違いますが、雰囲気がね。
 左腕のない者同士、ということもあるのでしょうが……そちらの理由の方が大きいでしょう」
「こいつはベルサウス、ってヤツを信用しなくなったんじゃないのか?」
「ええ、心の大部分で憎んでしまっている。でも彼から受け継いだ魔道技術のノウハウは今だ、捨てられないでいる。
 ……本人は気づいてはいないでしょうが、まだ心のどこかでは、信じたがっているのでしょうね。
 ベルサウス老と過ごした十年は、おそらく彼の二十三年間の中で唯一、安らかな時節でしょうから」
「……」
「僕が彼の主でいる間に、何とか上手いことベルサウス老への疑心暗鬼を失くせれば、と思っているのですが。望み薄です」
「簡単なものじゃない、ってことか。上手いことやれないと……どうなるんだ?」
「彼は自分を責めるでしょうね。普段、他人に向けている殺生の鋭利な刃を、自分の喉元に向けてしまうくらいは」
「……」
 顔では笑みを浮かべながら、だが陰鬱な溜め息を吐いて、少年は丸まっていた毛布を広げて、カシスの上にかけてやる。それを眺めながら、アルは思案した。
 そうか。アルが昔の友人の姿を彼に重ねていたように、彼も、似たようなことをアルに抱いていたのかもしれない。
 せめて、そのベルサウス老の代替品くらいにはなってやりたいものだったが、生半可ではいかないだろう、きっと。けれども、アルはもう一度、汗で張り付いた彼の真っ白な前髪を撫でてやる。
「……いい主を持ったな、カシスは」
「どうでしょうね」
 少し自嘲気味に、少年が呟く。
 その中には、凄絶なまでの孤独感が眠っているような気がした。自らへの嘲りと、孤独。それが気になってさらに言葉を重ねる。

「カシスを借りちまった代わりに、リィンを貸すよ。仲良くしてやってくれ。
 あいつは見かけよりずっと使える男だ。保障するよ」
「……ええ、そう思います。彼は僕の知らない素晴らしいものを幾つも知っている」
 少年はやや困惑したような表情を浮かべながら答える。だが、その返答の中に、アルの本当に聞きたい答えは一切なかった。

 アルはカシスを起こさないようにそっとベッドを出た。

「部屋に戻るよ。きっと連中が大騒ぎしているだろう。世話になった。
 あと二日、ここにいるんだろう? また会おう」
 ドアに手をかけたアルは、ふと思いついて少年を振り返った。
「確か……レアシスくん、だっけか? ちゃんと寝なきゃダメだぜ。人間、寝ないとろくなこと考えない。逆に食って寝てりゃあ、何事もどうにかなると思えるもんだ。
 あと何時間でもいい、そいつにひっついてうとうとしてみろよ」
「……遠慮しておきますよ」
 少年は苦笑を浮かべて、ちらりとベッドの方を見た。
「僕は貴方ほど彼に信用されていない。所詮は実験体[モルモット]であり、ただのスポンサーですから。
 主と従者の絆も、鎖なんかじゃない。ただの麻縄です」
 少年は少し悲しげな笑みを浮かべる。実験体[モルモット]? どういうことだ? と思いながらも、アルは肩を竦める。
「そうかな? 俺はそうは思わないけどね」
「……ありがとうございます。」
 平坦な声だった。
「出来ることなら、貴方がときどき話しかけてやってください。口と態度は悪いですが、精神的な問題を多く抱える身ですから、大目に見てあげてくださいね」
 一瞬の間の後、くす、と笑って並べた言葉に、アルはこっそり溜め息を吐いてドアノブを回す。

「一つ聞かせてくれ」
「何でしょう?」
「彼の左腕は……」

 そう問いかけると、彼は少々複雑そうな顔をした。聞いてはいけないことなのだろう、悟ったアルは質問の仕方を変える。

「自分でもぎ取った……とか。もしくは何か埋め込まれちまって、切除せざるを得なかった、とか。
 ……放って置くと錯乱しちまったり、昏睡状態になったり、最悪死んでしまう……なんて類のものじゃないよな」
「……」
 少年はちらり、とアルの左腕に視線を走らせる。だが、深くは聞かずに答えてくれた。
「ええ、違います。ときどき手は付けられなくなりますが、極精神的なものです。ご安心ください」
「そうか……少しだけ安心したよ。じゃ、お休み」
「……ええ、御機嫌よう」

 ぱたん、とドアが閉じる。アルは一度だけドアを振り返って、軽く頭を振る。
 何とも、事情持ちの連中と知り合ってしまったようだ。だが、後には引けないだろう。



「てめぇの狙いはカルミノ王家の秘宝だ。違うか? ”賢者の石”。聞いたことがないたぁ、言わせねぇぜ?」



 気絶する前に聞いたカシスの言葉が蘇る。……どうにしろ、後には引けないのかもしれない。
 それに、あの白子の魔道技師と共謀する、というのなら、悪くない。
 アルは一度、深く頷いて、彼らの寝室のドアを後にした。




 
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