ヒメサマのい・う・と・お・り

第17話 光の塔




 アルはすぐに部屋に戻るつもりだった。ただ、その前にちょっとだけ・・・寄り道するつもりだったのだ。
 部屋に戻れば、過保護な同胞どもに大騒ぎされて、外出もままならなくなるに決まっている。それでなくても、昨日一度倒れて面倒かけたのだ。どうせ騒ぎになるなら・・・一度で済ませたい。
 恐らく、石はあの城の南側に広がる広大な庭園のどこかにある。そして、石と身体の物理的な距離が近いと、ダメージが大きいようだ。
では、身体は城においたまま、精神だけで探してみたらどうだろう。どこか、人目につかない、集中できる静かな場所で。
 昨日、古書を探すのに潜り込んだ、地下の書庫。あそこならめったに人も来ない。元より未明の城は、サロンもラウンジも無人で、好都合だ。アルは書庫のせまい木の階段を、最下層まで下りた。明り取りの天窓から、明け方の青い光が淡く届く床に結跏趺坐を組む。

 さあ、石はどこだ。

 昼間見た、石の波動を思い出す。黄色い太陽。赤い炎。澱みを焼き浄化する力。広い庭全体が、石の暖かい波動に満たされている。
 その中心はどこだ。石はどこにある。アルは、明るい波の中心に手を伸ばした。

 エルザは、一度は寝室で横になったものの、昼間エクルーに言われた言葉が頭の中をぐるぐる回って寝付かれず、結局数時間で寝るのをあきらめた。
”何が重要か考えろ。君の国にために。君自身のために”
 彼は何か探していると言った。
”たくさんの仲間の命にかかわることだ”
 そんな大事なものがこの国にあるというのに、どうして私は聞いたことがないんだろう。
 いいえ。聞いたことあるわ。亡くなったお祖母さまが指輪を下さったとき、”これは大事なものを守る指輪なのよ”と教えてくれた。
私が”大事なものって?”と尋ねると、”この国の宝物よ”と秘密っぽく微笑まれたのだ。その時は幼かったから、深く考えなかった。
 でも、その宝が、エクルーの仲間を救うものだということはあるかしら。あの時、お祖母さまは本も見せてくださった。絵があったわ。
三角帽子をかぶった魔法使いみたいな男の人が、カップのようなものをかざして何かを釜にそそぐと、釜から光り輝く星のようなものが浮かび上がった・・・そんな絵だった。別のページでは、その星が病気の人を治していた。包帯で身体中をぐるぐる巻きにされ、死にかけていた人が起き上がって、星の光に手を伸ばしていた。あるいは、別のページでは星が汚染された淀んだ水を浄化していた。湖に再び魚や鳥が集まって、生命が満ち溢れる。
 おとぎ話だと思っていた。あれは本当のことなの?その宝があれば、本当にたくさんの困っている人が助かるの?
 あの時、私は本の続きを見たがったけれど、お祖母さまは見せてくださらなかった。
”これは、おとぎ話ではないのよ”
”本当にあった話。恐ろしいお話なのよ。だから秘密にしなくてはいけないの”
 あの時、どうしてお祖母さまは悲しそうだったのかしら。


 あの本がもう一度見たい。お祖母さまはどこで見せてくださったのだったかしら。お父様の執務室に続く書斎じゃなかったわ。木の階段を下りて、2色の木の組木細工でヘリンボーン模様になった床の部屋に入った。私はあの床が好きで、その後も何度もあそこにひとりで行っては床でガラス玉遊びをして、しかられたものだった。あれはどの部屋だったろ
う。

 そこまで思い出すと、エルザ姫はいてもたってもいられなくなった。急いで着替えると、フード付のローブを身につけ、寝室から廊下に出た。
あの部屋の情景は鮮やかに思い出せるのに、そこへいたる道筋はわからない。そこで、エルザ姫は迷ったときにいつもするおまじないにたよることにした。お祖母さまに教わった通りに。

 目を閉じて、すうっと息を吸う。
”私を呼んで。あの組木の床の部屋。星の絵の本。あなたはどこ?私を呼んで”

 頭の隅に、ちりん、と小さな鈴の音が響く。こっちだわ!そうよ、私はお祖母さまのおまじないが得意だった。子供の頃は、面白くて夢中でお祖母さまに習ったものだったのに・・・ある日、お父様にきつくしかられてやめたのだ。私に甘いお父様が、あんなに怒ったのは初めてだった。何とおっしゃったのだったっけ。
”君が危ないだけじゃない。この国全体が危険に巻き込まれるんだぞ。お母様も城の人たちも、村の人たちもみんな。それでいいのか?気をつけるんだ、君は・・・”
 
 そう、あの時、お父様は私のことを、”鍵”だと呼んだのだ。鍵は扉を開くものでしょう?”どこの鍵なの”と聞いても、お父様は教えてくださらなかった。”それを知るだけで、君もみんなも危険にさらされるんだ”とおっしゃられて。
 あれから、ずっと忘れていた。忘れなければいけない記憶として。でも、お祖母さまのおまじないは、時々こっそり使っていた。
そうして、心の隅でいつも考えていた。私の鍵は、何の扉を開けるものなんだろうって。
 

 エルザ姫は、鈴の音をたどりながら城の地下へと下りた。
 西翼へ続く回廊に入った途端、はっきりと鈴の音が大きくなった。メイドを呼ぶ鈴のように、リン、と響く。 鳴る頻度も大きくなって
きた。こっちなのね。鈴の音に急き立てられるように、エルザは回廊を走った。

 その地下の書庫に入った途端、ぴたりと鈴の音が止んだ。組木細工の床に、男の人があぐらをかいて座っている。お父様くらいのお年かしら?白っぽい金髪は短く切られてつんつん立っている。背の高い人だわ。眠っているの?眼を閉じているが、くつろいではいない。
汗びっしょりで、眉間にしわを寄せ、口を食いしばっている。苦しそうだ。でも、どうして?
 男の人は、まるで助けを求めるように、手を前に伸ばした。エルザは思わず、その手を握った。そして世界は暗転した。
「きゃああああああぁぁ」
 足元がない。何も見えない。上も下もない。強い風が髪をなぶる。ここはどこ?私はどうなったの?
「落ち着いて。僕の手を離さないでいれば、大丈夫」
 すぐ横で声がした。男の人の声だ。確かに暖かい手が私の右手を握っている。
「いいか。しっかり僕の手を握って、深呼吸をして。君なら見えるはずだ。遠くの方が見えやすい。眼を凝らしてごらん」
 言われた通り、何とか落ち着こうとした。ごくりとつばを飲んで、瞬きを繰り返す。やはり何も見えない。すぐそばで声がするのに、男の人の顔が見えない。それどころか、自分の手も見えない。
 深呼吸をくりかえす。とりあえず、足元に何もないけれど、私は落ちているわけでもないらしい。暗闇を飛んでいる感じ?この男の人と手をつないで?

「あの・・・あなたは?」
 暗闇から聞こえる声に話しかけてみた。
「アルといいます。この大園遊会の客として、滞在中なんです」
 じゃあ、この人も求婚者なのだ。それなのに、こんな地下で何をやってるんだろう。
「君はエルザ姫だね。エクルーにパンをくれた。話を聞いたよ。エクルーは僕の弟なんです」
 ぱっと、アルの顔が見えた。思いがけず近かったので、エルザ姫は動揺して手を放しそうになった。
途端に、身体がぐらっと落ちかける。
「きゃあああっ」
 アルがしっかりエルザを支えた。
「大丈夫。実際に僕が支えているわけじゃない。君がしっかり自分の場所を認識できれば落ちない。僕
の手は座標になってるだけだ。
もう、僕の顔が見えるんだろ?じゃあ、もう一度、周りを見てごらん」

 視界が広がった。暗いえんじ色の世界に、無数の金色の粒が流れている。遠くにその金色の粒が集まっている、緑色の森のような搭が見える。
「あれが、隣の国だね。シュアラだ。じゃあ、ゆっくり足元を見てごらん」
 恐る恐る、足元を見下ろす。身体がぐらつく。足元のはるか下方に金色の搭が見えた。無数の粒がその搭に向かって流れてくる。そして、同じくらい流れ出していく。
「これ・・・これは何?この光の搭は?この流れる粒は何?」
「君は、今、エネルギーの流れで世界を見ているんだよ。この金色の搭は・・・君の国だ」
 金色の搭はよく見ると、光る水色の多面体にすっぽりと覆われていた。宝石のカットのように複雑な対角線が、きらきらと頭上で光っている。
「道理で、この国に入ったときからつらいはずだ。こんな大掛かりなトラップが仕掛けてあったなんてね。御礼を言うよ。君と手をつなぐまで、この罠が見えなかった。やっとクリアできそうだ」

 エルザは突然、恐ろしくなった。この人は何なの?何のためにこんなところで、こんなものを見ているの?トラップ?罠?私は、とんでもない人に手を預けているんじゃないの?

 手を振り払った瞬間、まっさかさまに身体が落ちていった。見る見る金色の搭が近づいてくる。
 ぶつかる!眼を閉じた途端、ふうっとその金色の空間の中に入ってしまった。きれい!思わず見とれてしまった。色とりどりの光の粒の流れが調和して、複雑な文様を作り出している。光の音楽のようだ。

「たいしたもんだ。さすが、カルミノの王位継承者だけのことはある。もうこの空間で自在に飛び回っているじゃないか」
 すぐ後ろで声がした。エルザが慌てて振り返ると、アルが空間に浮かんでにやにやしている。
「あ・・・あなたも魔法使いなの?エクルーみたいに?」
 アルは一瞬、ぽかん、と虚をつかれた顔をした。それから、からからと笑い出した。
「魔法使いね。うん、そういうものの一種かもしれない。でも、僕もエクルーも、別に誰かに弟子入りして修行したわけじゃない。生まれつきなんだよ」
「生まれつき・・・」
「だから、けっこう苦労した。イドラに行って、やっと居場所を見つけたんです。イドラの連中は、日常的に非日常なものと接触しているから。俺たちみたいな輩を排除しないでくれる」
 アルは、エルザの方に手を差し伸べた。エルザは一瞬ためらって、その手を取った。
「エクルーの父母も、姉もみんなそういう類の人間なんです。イドラでやっと幸せになれるはずだった。教団の人体実験に巻き込まれるまでは」
 エルザはアルの手をぎゅっと握った。
「エクルーが言ってたのはそのこと?苦しんでいる仲間がたくさんいるって。あなたもエクルーもそのために、この国で探し物をしているの?だったら、私・・・」
 また、協力したい、という言葉が、口をついて出そうになった。自分の持っているもので、誰かが救われるなら、出し惜しみなんかしたくない。自分の力で、救えるなら、どんな人でも救ってあげたいのだ。
「うん。ありがとう。エクルーに協力するって言ってくれたそうだね。でも、僕もそれには反対だ。今は、まだ」

 アルは、エルザの手をとって光の森の間を逍遥した。
「ほら、例えば、この流れている青い粒を見てごらん。この大きな流れが地下水脈。集まっている場所が井戸だ。そして自分の手をよく見てごらん」
 エルザは、自分の手をじっと見た。皮膚の表面が透けて、内側を無数の光る粒が流れている。
「君はひとつのエネルギーの集合体だ。今も、いろんな形でエネルギーを吸収し、放出している。僕らの間にもエネルギーが行き交っている」
 2人の間をホタルのように金色の光が飛び交っている。
「これは体温のエネルギー。それから会話のエネルギー。そして、僕たちはエネルギーを交流させているわけ」
 アルはダンスを踊るように、両手でエルザの身体を支えた。
「人と人が出会えば、必ず、エネルギーの交換がある。無関係なんて有り得ない。そして、君はね、特に大きなエネルギーを人に与えることの
できる人なんだ」
 2人はダンスのように、光の森の間をくるくると巡っていく。2人のリズムが周囲の流れと共鳴して、新たな音楽を生み出している。
「ほら。君の音楽が、周囲と調和して、大きな場を作っている。城と、庭と、人々と、村を囲む農場と・・・すべてが活性化して再生されていく。
わかる?君はそういうことができる人なんだ。そうして、君も、君を取り巻くすべてからエネルギーを受け取ることができる」
「それは、私は何か特別なの?なぜ、私にそんなことができるの?」
 アルは微笑んだ。
「本当は誰にでもできることなんだ。別に魔法使いの修行なんかしなくても。要はエネルギーの使い方だから。君の場合は、君がこの国を愛してるから。だから国全体とエネルギーを交換できる。もうひとつは、君が”鍵”だから」

 エルザはぎくっとした。お父様も言った。私を”鍵”だと。何の鍵だというの?
「あれが見える?」
 アルが指差した。少しオレンジがかった暖かい光を放つものを、青い水晶の結晶のようなものが取り
囲んでいる。何重にも、美しい鳥篭の
ように。結晶そのものも、流れる水色の粒が放つ光でできている。
「あの中に囚われているのは、炎そのもののエネルギー体だ。とても強い。だから、素晴らしいこともできるし、同時に使い方を間違えれば、
恐ろしいことも起きる」
 エルザは古い本の絵を思い出した。お祖母さまが見せてくださらなかった、次のページにどんなこと
が描いてあったというのだろう。
「君のご先祖は、あの石を悪用されるのを怖れて、この鳥篭に封印したんだよ。そして、君がそれを開く”鍵”。石を使うものを選ぶ”番人だ”」
 アルはちょっとエルザの方に身をかがめてささやいた。
「もう一度、飛ぶよ?」

 2人は、王国を包む光の網を幾重にも抜けて、再び広い国土を俯瞰していた。今は国土に出入りして
いるエネルギーの流れも捉えることができる。
シュアラとの間にも、ひっきりなしに光が行き交って、時々、共鳴したように、双方の搭が光りさざめくのだ。
「きれい」
「うん。今、両国はとてもいい協力関係にあるから。お互いに強めあい、助け合い、共生している。じ
ゃあ、あっちは?」
 アルの指差した方に、いくつか別の光の搭が見えた。遠方なのにはっきりとその強い光が見える。そ
して、その搭と、カルミノの搭を結ぶ
エネルギーの流れは・・・
「赤いわ。暗い赤い色。これは何?」
 エルザは怯えて、思わずアルの手をぎゅっと握った。
「敵意。悪意。何とでも呼べるけど・・・要は、カルミノの国力を削いで、自国の支配下に置こうと策
謀するエネルギーだね。そして、ほら」
 赤く暗い場所。ぶすぶすとくすぶった熾き火。腐乱した傷口。
「あれが戦場だ。だんだん、ああいう場所が増えている。そして、あの搭をよくごらん」
 光の搭の右肩が赤く染まっている。そこから、エネルギーの流れが弱って、搭の調和の取れた形が崩
れている。その赤い傷口を癒すように、
あるいは食いものにするように、さまざまな色の光がそこに群がって、ピザンチン様式のタペストリーを織り出している。
「エイロネイアの搭だ。何か大きな政変があったようだね。これから・・・世界が変わる。カルミノも無関係でいられない」
 エイロネイア、とエルザは口の中で呟いた。長い間冷戦関係にある国。あらためて間近に敵国の存在を実感し、身震いがした。
「君はこれだけのものをしょわなくちゃいけない。そして、そうする力が君にはあるんだ。ほら、さっきの”石”を見て」
 この半球の大半を見渡せるほど上空にいても、カルミノを包む暖かいオレンジ色の光が見える。何重にも取り囲んだ、青い鳥篭を通して、
その光が王国を守っている。
「僕やエクルーが探していたのは、あの石だ。そして、あの石が欲しいものは、もちろん無数にいる。
君は誰に石を使わせるか、選ぶことができる」
「じゃあどうして、あなたもエクルーも、私の協力を断るの?あの石が必要なんでしょう?」
 アルはちょっと困ったような顔をした。
「だって、あの時は、君はあの石がどんなものか知らなかったろう?そんな状況で、言質を取って・・
・君を利用するようなマネをしたくなかった
んだよ。よく考えて、選んで欲しいんだ。それほどに、あの石の力は強大だから」

 ことんと、足が組木細工の床に触れた。書庫の明り取りの窓から、夜明けの澄んだ青い光が射してい
る。突然、賑やかな鳥の声が聞こえてきた。
「忘れないで。あの光の光景を。君は一人じゃない。この国も離れ小島なんかじゃない。君の選択次第
で、世界全体が変わるんだ。大変な役目だと
思うけど、がんばって。応援してるよ。僕もエクルーも、それからリィンも」
 アルはエルザの手を取ったままひざまづくと、右手の甲に恭しく口付けした。
「とにかく、今日の活動を始める前に、少しでも眠ることだね。君の目の下に隈なんかできてたら、俺やエクルーがリィンに怒られちまう」
 そういたずらっぽく笑うと、ラベンダーの茎を編んでリボンで止めたスティックを差し出した。
「部屋に戻ってベッドに入ったら、このリボンを解くこと。香りでよく眠れるから」
 そういい残して、アルはしゅっと消えてしまった。夢のようだったが、手の中にはラベンダー・ステ
ィックが残っている。
「よく・・・考えなきゃ。でもその前に・・・眠らなくっちゃ」
 エルザは書庫を後にすると、今度は迷わず、自分の部屋に戻った。




 
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