ヒメサマのい・う・と・お・り
部屋に戻り侍女を下がらせて、纏わりつく重たい衣装を脱ぎ棄てて、隠しておいたメイドの服に着替えて、念のためにローブもはおり、エルザは慣れた手つきで妖精の庭に降り立ち、てくてくとにぎやかな南の塔を目指した。
そこでは、エルザのために集められた男性たちのための夜会が開かれている。
賑やかな声は庭までまる聞こえ。眉をしかめてエルザは隅にあるメイド部屋の窓をそっと開けた。
「サクラちゃん」
「あ、エルザさま」
ぱっと可愛らしい声で答えが来る。しーっと声で合図してから、窓をきちんとしめ、カーテンをぴっちりと閉めた。
そこで初めてエルザは暗いと思っていた部屋がほんのり明るく照らされていることに気づく。外からは真っ暗に見えたのに。
不思議に思ってあたりを見回すと、小さな光を閉じ込めた水の泡がふわふわ。ふわりとたゆたっていた。
「ああ、ソウガくんお手製のランプね」
「ランプじゃありませんが…、外からは見えないようにしています」
壁に寄りかかったソウガは剣こそかかげているが、軍服は来ていなかった。袖が広がった白い衣に、濃い青のズボンを履いた、ゆったりとした服装だ。
エルザは本当に不思議な能力だわ、と胸の中で呟いてから、サクラを見て、眉をひそめた。
「…顔色が悪いわ?どうかしたの?」
「あ…、ちょっと夜風にあたりすぎちゃって…大丈夫です」
「変な招待客に無礼なことをされたんですよ」
不機嫌そうな声にかぶさるように非難する言葉が飛ぶ。
「ソウガさんっ」
「無礼な…?サクラちゃん、それは…」
エルザはますます眉をひそめた。いくら父が招いた招待客とはいえ、
親友の、しかもシュアラの巫女姫に無礼な振る舞いをしたなんて許されることではない。
「違います。わたしがいけなかったんです」
サクラはきっぱりと言い切ってから、ソウガをちょっと睨んだ。それに対してソウガはぷいっと顔を明後日に向ける。
サクラは、少し逡巡してからソウガからエルザに顔を戻し、ひとつひとつ語りだした。
「…実は、妖精の庭で初代カルミノ王墓にお祈りを捧げに行っていた時、そこで男性の方が二人、えっとお話をしてしまったのを聞いてしまったんです」
具体的にどのような状況だったかは言わないサクラにソウガはホッとした。
まあ、先ほど二人で話している時はそちらの方は二の次、のようだったから仕方あるまい。サクラは別のことを気にかけていたのだ。
「話って…」
「エルザさま…その方たちが賢者の石、それからカルミノの遺産がどうとか仰っていたんです」
真剣なまなざしで問うてくるサクラに、エルザは違和感を感じながら自分の持っている知識を引っ張り出した。
「賢者の石…?よく建国神話に出てくるものかしら?」
「はいその石がこの城にあるかもしれない…と話していたんです」
賢者の石の持つ力は「癒しと破壊」。使い方次第で国ひとつ滅ぼしかねない石だと伝わっている。シュアラの方でも名こそ違えど古代には実在したという文献もある。
エルザはこめかみに手を当てて、しばし考える。自分は自覚が足りなくとも第一王位継承者。
父から城の秘密はいくつか教えられている。けれどもどれも石に結びつくものはない。エルザは一つ息をついてから答えた。
「…たぶん、ないと思うわ。…あとで調べてみるわね」
そう言うと、サクラは少し痛みを含ませた笑みを浮かべた。
「そうですか…」
「サクラちゃん?」
いぶかしんだ様子のエルザに、サクラは困ったように笑った。急に大人びて見えるような、
それでいてどこか悲哀を帯びた笑顔。サクラは目立たぬように、とかけていたカルミノのローブを外して肩までおろした。
「……いま、この国はとても平和です。けれど…」
「……エイロネイアのこと?」
こっくりと頷いてサクラはエルザをまっすぐに見つめた。敵国エイロネイアとは長い間冷戦状態が続いている。
それが近年、ほころびをはじめているのはシュアラはじめ各国が察し始めている。
「いつ戦争が始まるか、わからないのでしょう?」
「……そうね」
サクラは三年前、シュアラとクロキアの戦争を目の当たりにしている。静かだった国は乱れ、
戦況が激しさを増していくと、帝自らも出陣した。サクラは何も言わないが、そのときサクラのいる神殿には民草が溢れかえり収拾のつかないものとなっていたらしい。
静かな口調のまま、サクラは言葉をつづけた。
「それで…敵国の者が入り込んで内情を探っているのでは…と。
……本気を出せばこの大規模な行事のなかに参加することも容易いはず。…御身を気を付けるにこしたことはございません」
エルザはハッと目をみはった。なんてことだろう。そのような可能性は全く考えていなかった。ただ男性を並べて、自分はお飾り。
その程度のものだと思っていたのだ。
指摘されて初めて気づく。エルザはあまりの情けなさに顔を覆いたくなった。
「…エルザ、さま?」
「あ…いえ、なんでもないの。…そ、そうっサクラ姫。昼間言ってた…ええとエクルーさん?のことなんだけど」
ぱたぱたと両手を振って話題転換をすると、サクラは先ほどの凛とした気配をいともたやすく脱ぎ棄て、ほわんとした笑顔を浮かべた。
「はい、なんでしょう?」
「わたしも会ったの。本当にいい魔法使いね。台所にいつもいるみたいだから、明日にでも会いに行きましょうよ」
「なっ!!」
エルザの科白にいちはやく反応したのがソウガだ。エルザはきょとんとしてから、くすっと小さく笑う。
「あら、ソウガくん、やきもち?それはもう見事な助けっぷりだったらしいわねっ」
「すごいんですよっ目をつぶってって言われて、そのとおりにして次に目を開けたらお庭にいたんですっ」
すごいすごいとはしゃぐサクラをほほえましく見守るエルザはそのままソウガに顔を向けた。
「サクラちゃんの無防備ぶり、なんとかしたほうがいいわ」
いくらなんでも男から目をつぶれと言われて、はい閉じますはないだろう。
ソウガはしかめっつらをして、怒気を含んだ声で返した。
「…直らないんです」
「?」
きょとん、としているサクラを、心配そうに見つめる目が四つ。ぱちぱちと瞬きをしながらサクラはふわっと微笑んだ。それはもう無邪気に。
そして、エルザとソウガは脱力し、長い長い溜息を吐く。そのとき、エルザの着ているメイドのエプロンのポケットからこぼれ出ているものに気づいた。
小さな青い石が埋め込まれた、透明なベルと銀のリング。
ソウガが目を見張る。絶句をして、食い入るようにそれを見つめた。
「!! …な、…王女それ…」
「ああああっ!!」
ソウガの声を覆い隠すようにエルザの絶叫が響き渡る。がばっと立ち上がって、エルザは右手の中指を食い入るように見つめていた。
「な、ない…っ」
「エルザさま…?何がないんです?」
慌てふためくエルザの様子に驚いて、サクラも立ち上がった。エルザはとりあえず深呼吸をする。
「お祖母さまから形見で頂いた、指輪…」
「えっ大変っ!探さないと…、心当たりは…?」
「今日は、城中駆け回ってたから……ああ、いつ落としたのかしら…」
そこでソウガが眉をひそめた。
「城中?なにやってたんですかエルザ王女」
「逃げてたのよ。…婿候補の方から」
ああどうしようと頭を抱えたエルザの背中をサクラが撫でる。
「……自業自得」
その後ろで、ソウガは小さく呟いた。呟いて、もう一度ちらりとエルザのメイド服を見る。
ポケットは、もう位置的に見えなくなってしまっていた。ソウガの眉間に皺が寄る。何かを振り切るように首を振って、唇を噛み、重ねるように呟いた。
「……まさかな」