ヒメサマのい・う・と・お・り
長い裾が足に纏わりついて、耳元を飾る大きな宝石がやたらと耳たぶを引っ張ってくる。
エルザは重たいドレスや、大きな宝石が不必要なまでについた飾りをいますぐ投げ捨てて着替えたい衝動に駆られながら、各国からやってきた王たちに挨拶をしていた。
こればかりはさしものエルザも逃げられなかったのである。
満足げに玉座で頷いている両親をにらみたい気分にかられながら、最後の国王へ挨拶をするべくエルザはドレスのすそをつまんでお辞儀をした。
「はるばるルーアンシェイルよりお越しいただき、誠に光栄です。イシス=エレメント陛下」
「いや、誠にもったいないお言葉。エルザ王女の選んだ婿君を見るのが楽しみです」
おほほ、とエルザは乾いた笑みを漏らした。イシスはからかうような風情で言葉を続ける。
「僕も独身だったらぜひ参加したいところだな」
「まあ、そんな…」
微笑んでエルザは下げていた面を上げる。イシス=エレメント。遠方の、ルーアンシェイルという国の若き城主である。確か、二十前半しか行っていない。
その柔和にグラスを傾けるほんわりとした顔に、エルザは奇妙なデジャヴを感じて内心首を捻った。
つい、最近も似たような顔を見たことがなかったっけ? いや、そんなはずはない。ルーアンシェイルは遠方で、エルザだってイシスと顔を合わせるのは極久々で。最後に会ったのは何年前だったか。そんなくらいなのに。
――疲れてるのかしら?
頭に張り付いた奇妙な感覚を振り払うように頭を軽く動かす。
するとイシスはそっと玉座の方を見てから静かにささやいた。
「…大変そうだけど、頑張ってね。第一王位継承者にはさけられないものだから」
その言葉に、エルザは少し目を瞠ってから、再びお辞儀をした。そして慎ましやかに退出を願い出て、宴席から逃げるように飛び出した。
(…第一王位継承者…かあ…)
自覚していると言えばしている。していないといえばしていないのかもしれない。エルザが生まれてからこのかた、冷戦状態の国はあるもののカルミノは平和そのものなのだ。
大臣から第一王位継承者としての教育を受けるは受けるものの、格式ばったものばかりで実態をつかめないのが正直なところだ。
父親は賢帝と称される。民を第一に考えるお方。エルザも尊敬している。だが、自分には「民や国を思う」という気持ちがどんなものかいまいち掴めないのだ。
親友の、しかも四つも年下のサクラの方がよっぽど民を憂い行動している。
シュアラは政(まつりごと)は帝が、神事は巫女が司るヒメヒコ制だ。神事を司る巫女姫はシュアラの神々の代弁者である。
彼女は巫女姫としての立場は動きにくいにもかかわらず、暇(いとま)を見つければ市井に出て、どんな民の声も聞こうとしている。クロキアとの戦があってからは特に忙しい日々を送ったようだ。
いつもその噂はエルザの胸に警鐘を鳴らす。このままで良いのか。もっと自分には、できることがあるのではないか、と。
一度、シュアラに行ってみたい、と教育係の大臣に話したことがある。が、クロキアと一触即発状態のシュアラに世継の姫が行けるわけないと諭された。
それを無理にでも押し切ることはできたはずだ。父王も止めはしないだろう。むしろ、良い経験だと快く送り出してくれるはずだ。
だが、自分は大臣の言葉にどこかホッとして、それ以来シュアラ行きは口にしなかった。
以前、カルミノに来たサクラに一度聞いたことがあった。
小さな身体で一生懸命に自分についてくるのが可愛くて、大臣たちや侍女から聞いた巫女姫の力≠ヘ一体どこにあるのだろうと不思議だった。
サクラは大陸では神に愛された娘、すべてのものに救いの手と癒しを与えることが出来る、『奇跡の少女』だと称されている。
王族としての器量が、彼女より遥かに幼かったエルザは、それは本当なのかと是非を問いた。
けれど、サクラはほんのちょっぴり寂しそうな顔をして、「わたしには、そんな力はありません」とはっきりと言った。それから、俯いてぽつり、と哀しそうに呟いた。
『わたしのもっている能力は、何の役にもたたないんです』
エルザが何も言えないでいると、サクラはにこっとあどけない笑顔を浮かべた。
『でも、わたしには民に歩み寄る足がある。民の声を聞く耳がある。民とともに話せる声がある』
そのときのサクラは、手を下して、足をぽんっと軽くたたいて、両耳に触れて、最後に唇をさししめしてみせた。
『わたしはたくさんの大事なことを民から学んでいます』
立ち止まって、廊下の窓から見える月をぼんやりと見上げた。
「……」
城の中で本を読み知識だけを蓄え、父から政治の講義を受け、母から女性としての教養やたしなみを学ぶというような毎日。
城中はもちろんのこと国中から慕われているから、誕生日には城がパンクするほどのプレゼントが溢れかえる。
ふとして振り返ってみれば、なんと幸せな16年間だったのだろうか。
「…なにをやっているのかしら…」
はあ、とエルザは溜息を吐いた。平和ぼけ、というのだろうか。カルミノは平和で、平和すぎて、危機感がどうももてないのだ。
ぼんやりと、大好きだった祖母の顔が浮かんだ。まじないが得意で、おとぎ話を話すのが得意で。膝の上でいろいろな話を聞かせてもらった。
エルザは、ついてきていた侍女に先に帰るように促して、物見の塔に向かった。ひとつひとつ螺旋状の階段を登りながら、祖母のことを思い出す。
温かな暖炉の前で、祖母はひととおりおとぎ話をし終えると、幼いエルザの頭を撫でながら柔らかい声で言った。
『姫は…そのうちこの国を背負うお方になるのよ』
『しってるわ。おうになって、たみをまもるの』
『そのために、なにが必要かわかるかしら?』
謎解きをするかのように、祖母は細かい皺が刻まれた目元を綻ばせた。エルザはきょとんとしてから言葉を返す。
『わたし、このくにがすきよ。おとうさまがいて、おかあさまがいて…キックリだいじんはこわいけど、すきよ。
それにおしろのそとのひともすきよ。わたしのことすきっていってくれるもの。それだけじゃ、だめなの?』
『エルザ、すき、という思いだけでは国は守れないわ。それから、民がいつまでもエルザを好いてくれるのも、エルザ次第なのよ』
『…おばあちゃま、むずかしい』
大好きな祖母の膝の温もりは柔らかい。おまけに暖炉の火の温かさもちょうど良い。だんだんと睡魔に襲われていくエルザの耳に、祖母の優しい声音が降ってきた。
そうね、でもいつかは――。
最上階の窓枠に手をついて、長く息を吐く。
(この国は私にとって、何?)
(私にできることは、何?)
心の中で問いかける。真剣に考えてみよう、とエルザは思った。結婚相手を見つける前に、考えなければならない。そんな気がしたのだ。