ヒメサマのい・う・と・お・り

第10話 夜会


 3

「ん? どうしたんだリィン。客か?」
「レアシスっていうんだ」
 ジンはまじまじとリィンの後ろに佇む少年に目をやった。視線を受けて、少年は小さく肩を竦める。ジンはぽん、と手を叩いた。
「ああ、昼間言っていた……。すまないな、連れが世話になったみたいだ」
「いいえ。それほどのことは」
 少年は首を振って答えた。ジンはその様に軽く感嘆して椅子を勧める。少年は優雅に会釈をしてからそこに腰掛けた。

「君もエルザ姫の婿候補にエントリーしているのかい?」
「ええ、まあ、一応は。この顔では見向きもされないでしょうが」
 頷いて少年は口元だけで笑う。
「そんなことはないさ。君の佇まいは十分、見惚れるものがある。綺麗なもんだ。さっきは感心したよ」
「……それはどうも」
 少年は至極淡白な答えを返す。その返しにジンは小さく肩を竦めて、小さく「うーん」と唸った。
「なあ、ジン。さっき噂をしている人がいたんだけどさ」
「おや? お前でも分かったのか?」
「別にカルミノの言葉だけで会話してる奴らばかりじゃないよ。それはどうでもいいんだ。
 何で、カルミノ王はいきなりこんな大園遊会なんか開いたんだ?」
「んー……」
「カルミノ王は温厚な性格で、今まで娘のエルザ姫を大事に育ててきたんだろ? カルミノ王だって一人も側室を取らないでいるような人だ、って聞いたぜ。
 だったら、何で娘に強制的に結婚させようとしてるんだ?」
 リィンの言葉には、多少の苛立ちが含まれていた。その苛立ちの理由に心当たりのあるジンは、何とも困った顔で肩を竦める。
「さあなぁ。俺も一回、聞いたはずなんだが忘れてしまってな」
「ジン……」
「いや、この国の状況とか何とか。そういう話ばっかりでな。いまいちピンと来なかったんだよ」
 リィンは溜め息を吐く。人種や異能力に対して大雑把なのはジンの良いところだし、尊敬もしているが、そんないらないところまで大雑把でなくていいのに、と思う。
「……ご説明しましょうか?」
 二人のやり取りを黙って聞いていた少年が不意に口を開いた。ジンもリィンも思っても見なかった返答に顔を上げる。
「遠方の方がご存じないのも致し方がない。少々、国交情勢というものは複雑ですからね」
「……国交情勢と、エルザ姫の結婚と、何か関係があるのか?」
「ええ、密接にね」
 少年はジンが勧めた茶を、断ってから一口、口をつける。一度、間を置いてから咳払いをすると、
「……カルミノに敵対する国があることをご存知ですか?」
「え?」
「ああ、そういや冷戦状態の国がある、って聞いたな。名前は確か――」
「南方エイロネイア帝国」
「ああ、そうだそうだ。数十年前は実際に戦争してたけどな。今は冷戦状態だって聞いてる」
「その通りです。カルミノは大国ですが、こと軍事力に関しては、エイロネイアは拮抗するものを持っている。いわば軍事国家です。
 両者の戦いがなりを潜めているのは、国の大きさに比べて軍事力にほとんど差がない、という一点で消耗戦を嫌い、直接的な戦いを避け続けて来ました」
 さらさらと、歳若い少年の口から不相応な言葉が並べ立てられる。リィンは目を白黒させながらそれを聞き、ジンはやたらと渋い顔で首を傾げていた。理解出来ていないわけではない。そこに存在する、二十歳に満たない少年の姿と、言葉として出ている単語がどうにも不釣合いなのだ。
「ところが、昨今になってその均衡が崩れて来たのです」
「カルミノが、陣地を拡大し始めたからか?」
「……正確に言えば、エイロネイアが南の小国を取り込んだのが先駆けでした。競り合うように、カルミノも無血合戦ですが、領土として小国を従えるようになりました。
 まだ水面下ではありますが、確実に、両者共、火が付くタイミングに近づいて来ているのです」
「……」
 ごくり、とリィンが固唾を飲み込む。
「とはいえ、同盟国を織り交ぜれば、やはりカルミノが勝利します。ですが、このタイミングでカルミノに一つ、誤算が生じました」

「誤算?」

「隣国のシュアラとクロキアの戦争です」

 ジンは天井を向いて記憶を手繰り寄せる。そういえば、しばらく前の新聞でそんなことを読んだような読まなかったような。
「三年前、不可侵条約の締結ということで終結を見ましたが、油断はならない状況でしょう。いわば睨み合いです。さらにシュアラとクロキアの戦争に置いては犠牲が多すぎた。シュアラの軍事力、それに加勢したカルミノ兵軍の低下を招きました。
 シュアラは小国ですが神域や神秘の場所が多いことで知られると同時に、強力な軍人の輩出国でもあります。そのシュアラが、実質の戦力外になったことで、カルミノは大きな痛手を被った」
「……」
「それが三年前。この三年間でカルミノもシュアラも軍事力の回復を測りましたが、依然としてクロキアとの間は実際のところ、緊張状態が続いています。戦争の爪痕、というやつでね」
「つまり……エイロネイアにとっては、カルミノに攻め込むなら今が絶好の好機、ってやつなわけだ」
「……その通りです」
「で、でもおかしいじゃないか。それなら何でエイロネイアは三年待ったんだ? 待つ必要ないじゃないか、何ですぐ攻め込まなかったんだよ?」
 頷いた少年の言葉を遮って、やや興奮気味のリィンが尻尾をおっ立てて口を挟む。宥めるようにジンが腰を浮かしかけた彼の肩をぽんぽん、と叩いた。

「そうですね……エイロネイア自身も別の小国を従えていたという理由もありますが、まあ……他にもいろいろと理由はありましてね」
「それは俺も聞いたことがあるぜ。エイロネイアの有名な皇太子殿下の逸話だ。だろ?」
「……」

 少年はひくり、と片眉を動かした。ジンは深く頷いて言葉を続ける。

「エイロネイアの軍事のすべては、今の皇帝の息子――まあ、つまりは皇太子が全権を握ってる、っていう話だ。
 こいつがまあ、有能な人様で、昨今になって次々と小国を懐柔してカルミノに並ぶ兵力と陣地拡大をしていった。
 リィン、想像してみろよ。本気の喧嘩の最中だ。相手方が弱ってる。でもこちらも相手ほどじゃないが多少弱ってる。今、手を出せば有利は有利だが、何かの拍子に足元を掬われるかもしれない。
 だったらさ、こっちが全快して、相手がまだ回復の途中だ、ってときに狙った方がいい。だろ?」
「!」
「……そうです。三年が経ちました。両者の曲線は、まさにそのときが近くなっているのです。
 戦争の最中に娘の結婚を盛り立ててやることが出来ますか? まず無理でしょう。戦争は一昼夜では終わらない。エルザ姫は今、十六歳。王族、貴族で言えばもう良い年頃です。
 戦争が終わるのは何年後か、何十年後か分からない。下手をすればその最中に何らかの理由によって、政略的に、もっと選択の狭い婚姻を強いられることにもなりかねない」
「……」
「結論を言えば――今が限界なんですよ。娘の結婚を素直に盛り立ててやることが出来、なおかつ、エルザ姫に選択の自由を与えてあげられる期間、というのが。
 一見、無慈悲な政略結婚に見えますが、この大園遊会はカルミノ王のせめてもの親心です。それに付け入る輩は大勢いるようですが、ね。
 エルザ姫が存じているかは分かりませんが」
「……」

 リィンは絶句する。馬鹿げた会だと思っていた。アサギ、いやエルザ姫に会ったあとは彼女が哀れに思え、カルミノ王にちょっとした猜疑心も持った。
 だが、その裏には、そんなにも大きな事情があったのだ。
 壇上のふくよかなカルミノ王の横顔が、少しだけやつれて見えた。

「戦争は、どうしても起こるのか?」
「……」

 少年は答えない。それはそうだ。何と答えても無責任な答えになる。

「……いつ、起こるんだ?」
「……現エイロネイア皇帝・ヴェニア帝や……子息のエイロネイア皇太子ロレンの機嫌が変われば、明日にでも」
「……」
「俺はそいつは大丈夫と見たね」
「?」

 呟くように吐き出した少年の声に、ジンの声が被る。リィンは眉間に皺を寄せて、彼の顔を見た。

「エイロネイア皇帝の噂もちらっとだが耳にはしてるぜ。側室を大勢抱えて、国税で贅沢三昧の日々、って噂だろ? 昔はまあ、立派な王様だったらしいが、ここ二十年はそんな感じだ。
 そんな皇帝が三年も辛抱強く待つ決断をすると思うか? おそらくしないだろ。王族に付き物の、側付きの甘い汁を吸ってる貴族連中もだ。
 ってことは、だ。どこかで戦争に対するストッパーがかかってる、ってことだ」
「……」
「ストッパー?」
「軍部を束ねてるのは誰だ? 別の人間だろ? 息子のエイロネイア皇太子。
 いくら上層部が戦争をしかけても、軍部を束ねる人間が首を縦に振らない限り、軍は動かないだろ。そのお人が、虎視眈々と機会を狙ってるのか、それとも意外と反戦主義者なのかは、俺にも分からんがね。
 今日明日にでも戦争なんて事態にはならない気がするね、俺は」
「……」
「その皇太子も大変だ。父親と貴族連中と軍部、おまけに民との板ばさみに加えてカルミノとの睨み合いの矢面だろ? 可哀相なことだよ」
「……」

 少年は観察するように言葉を発していくジンを眺めていた。ジンは何も気づいていないように茶を飲み干していく。
 リィンはその場の奇妙な空気に腰を落ち着けられないでいた。やがて少年は、一瞬、目を伏せた後、カップの中身を空にして立ち上がる。

「……長居をしてしまいました。しばしの間の茶菓子にでもなりましたら幸いです」
「君も律儀な人間だな。俺は楽しかったよ」
「それは良かった。では」
「あ、ちょっと」

 踵を返そうとする少年をジンは呼び止める。

「俺の連れ、こいつ。リィンていう奴だけどな。良かったらこれからも仲良くしてやってくれよ。あんたとそう歳も遠くないだろう」

 リィンはびっくりして自分を指差す。それは嫌ではない。少年は二度も彼を助けてくれた恩人だ。
 だが、少年は背を向けたままゆっくりと首を横に振る。

「残念ですが、僕にもいろいろとありまして……。その資格はありません。では、失礼します」
「あ……」

 リィンのかけた声にも、少年は今度は反応しようとしなかった。そのまま会場の人の群れの中に消えていく。
 リィンは尻尾と耳をへたれさせて、椅子に腰掛け直した。

「……俺、嫌われたのかな」
「ん? いや、そんなんじゃないさ」

 ジンはからからと笑って、湿っぽいリィンの言葉を否定する。

「最後に自分で言ってたじゃないか、『自分にもいろいろある』ってさ。お前が嫌いとかそんなんじゃないよ、きっと。
 ……良い少年じゃないか。ちょっと肩に力入ってるけどな。
 国の状況はともかく、あれだけ冷静に分析してる奴も珍しいだろうよ。ってことはだ。冷静に分析して、把握してなくちゃいけない立場の人間だ、ってことなんだろうな」
「……」
「ああいうタイプはな。SOSを出すのが苦手なんだ。助けて欲しくても、素直に言えないんだよ。性根が純朴だからな。
 エルザ姫のときにも言ったが、気の毒なもんだ……」
「……」

「お前、見かけたらときどき話しかけてやれ。ああいう人間はな、何回も相手にしてやらなきゃ心を開かない。
 何ていうかな、自分の重みに潰れちまうような感じだ。俺みたいなおっさんの説教なんか聞きたくないだろうからよ。友達なんて、何も両方がそう思ってなきゃいけないなんて法律はないだろ」
「……うん」

 リィンは頷いて、少年が消えた方を見る。

 エルザ姫には、クマのぬいぐるみが必要だと思った。でも、彼には一体何が必要なのか。答えは、当分、出そうになかった。




 
BACK   |  TOP   |  NEXT