ヒメサマのい・う・と・お・り

第10話 夜会


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「なあ、ジン」
「ん? 何だ?」
 ジュースのグラスを口につけたり離したりを繰り返していたリィンが、ようやく声を上げた。ジンは椅子にもたれさせていた背中を持ち上げて、彼に向き直る。
「こんなところにいて、本当に、その“探し物”ってのは見つかるのか?」
 やや憮然としているのは、夜会会場でも突き刺さる。物珍しい物でも見るような視線のせいだろう。昼に一人で無茶を働いたらしいアルへの苛立ちもあるのかもしれない。
 倒れていたところを保護された彼は、まだ部屋で伏せったままだ。

 うーん、とジンは唸って騒がしい夜会会場を見渡す。

「こういうところに意外と情報というものは転がってるものなんだけどな」
「見つかったのか? 情報」
「いや、さっぱり」

 悪びれもせずにジンは肩を竦める。リィンは深く溜め息を吐き出した。

「いや、まあ、待て。こういうのは焦っても上手くいかないもんだぞ。
 ……ところでアルの様子はどうなんだ?」
「まだ寝てるよ。今はちょっと厨房から抜けてきたみたいで、エクルーが看てる」
「そうか……うーむ」

 頷いて、ジンはやや俯きながら唸り始める。何かを考えている風の彼に、リィンは眉間に皺を寄せた。

「どうかしたのか?」
「いや……たぶん、アルは“例のもの”の場所を探ろうとして……誤って錯乱したんだろう?」
「うん、たぶん」
「誰が止めてくれたんだろう、と思ってな」

 ジンは天井を見て、部屋に運ばれて来た彼の身を思い出す。嵌めていた義手が取れかけていて、しかし、そこは見たこともない紋が描かれた護符が、彼の腕をつなぎ合せるように巻かれていた。

 現物は見たことがなかった。しかし、文献では読んだ記憶がある。

 あれはイドラでもカルミノでもない、別の国の、法術の浄療術だ。
 エクルーもリィンも、見つけたときは既にこの状態だったと言った。

「あの術の使い手は一体、誰なんだろうとさ。錯乱したジンの嵐も平気で突破して、治療も出来るなんて、それなりの魔道師だろう? 随分、親切な奴がいたなと思ったんだよ。
 うちの助手を助けてくれたこともあるし、礼の一言でも言うのが礼儀じゃないか」
「アルに直接聞けばいいんじゃないか? 目が覚めてから」

 ジンはそうなんだが……と言いかけてまた思案する。そのジンを横目に見て、リィンは椅子から立ち上がった。

「どこに行くんだ?」
「トイレだよ」
「迷うなよ」

 リィンはややムッとして、会場内を歩いていった。ジンは天井を見上げ直して、また思案する。

「魔道師か……」
 こんな雑多に人間が集まる場所だ。だが、魔道師、という部分が引っかかる。

 もしかしたら、その魔道師は、自分たちと同じものを……

「……考えすぎ、かもしれないが……」
 天井を向いたまま、ジンはぽつりと呟いてグラスの中身を空にした。


◇ ◇


「参ったな」
 リィンは広々とした玄関ロビーで頭を掻いていた。用を足したのはいいのだが、その際に人の波に押されてしまって会場に戻る方向が分からなくなってしまった。あんなに広い会場、すぐに分かるかと思って闇雲に歩いては見たが、そもそもこの王城そのものが広大すぎるのだ。

 草原の広大さは慣れているが、きらびやかな豪邸の歩き方なんか知らない。

 それからときどき背中に刺さってくる奇異の視線がどうにも痛い。早くジンやアルの元に帰りたかった。
 カルミノの言葉が分からないと、こんなときに不便だ。

「仕方ない。もう一回歩いてみるか……」

 ここに来てから貧乏くじを引く回数が増えている気がする。それとも、本物のエルザ姫と出会えた代償だとでも言うのだろうか。溜め息を吐き出す。
 唐突に、あの少女――アサギの姿が頭を過ぎって、何とも言えない気持ちにさせられる。
 この玄関ホールのラウンジ内でも、見かける女性それぞれに自慢話を披露する自己顕示欲の強い男が何人もいる。あの子は、この中の誰かと強制的に結婚させられる可能性もある、ということなのだろうか。

 ――そんなの、辛いよな……。

 もっと身近な人間だったのなら、選んだ男が酷い男だったら、その男を殴ってやることも出来たのに。
 リィンはふるふると首を振る。いけない。こんなことを考えてちゃ、あの子のせめてものクマのぬいぐるみになんかなれるわけないじゃないか。

 ――いい人を、選べるといいよな……。

 思考を中断して、さあ、どちらへ行こうかとラウンジを見渡す。その彼の目に、思いがけないものが飛び込んで来た。
 男たちが束となり女性にアピールをしていたり、またはお互いに牽制するように言葉を飛ばし合ってる中で、一角だけ静謐な空間が出来ていた。
 ラウンジに備えられた複数のソファの中で、そのうちの一つに腰掛けながら、静かに窓の外を眺めている少年がいる。すぐに思い当たる。昼間、あの男たちを追い払ってくれたあの少年だ。
 ときたま、絡んでくる男たちを、適当に、危なげなくあしらっている。よほど腹芸が上手いのだろうか。

 奇異の視線を向けてくる他人の中で、知り合いを見つけた安堵感から、リィンの足は自然とそちらに向いた。

「こんばんは」
「……」

 最初、また厄介な参加者に声をかけられたのだと思ったらしい。気だるげに振り向いた少年の半顔は、少しげんなりとしていた。

 だが、相手がリィンだと分かると、ふと驚いた顔をして口元に笑みを浮かべた。

「ああ、こんばんは。すまないね、てっきりまた他の人に声をかけられたと思った」

 少年の口から少し訛ったイドラの言葉がつい出る。

「トラキア語でいいよ。こっちなら俺も話せる。こっちの方が楽なんじゃないか?」
「そうなんだ。なら、そうさせて貰おうかな」

 一瞬で、少年の唇から流暢なトラキア語が発せられる。一体、この少年の出身はどこなのだろうと好奇心を持って問いてみると、曖昧に笑って『サムウェア・ノン・ヒア』と冗談を飛ばした。あまり振られたくない話題だったらしい。

「一人なのか?」
「ええ、まあ……さっきまで仲間といたのだけどね。気紛れな人たちだから」

 言ってテーブルの上のグラスを手に取る。琥珀色のそれはアルコールらしい。

「……そういえば、君、幾つ?」
「十九だけど?」

 いとも当たり前のように答えてみせる。まあ、未成年で酒を飲んではいけないと言っている国ばかりではないのだろう。
 リィンが少し考えているのを見て、少年がくすくすと笑う。

「僕の国でも未成年にお酒を勧めてはいないよ。けれど、一応、幼い頃から社交場に出ていた身だ。身体が馴れてしまってる」
「そうなのか……」

 リィンは呟きながら、適当な反応を探す。ということは、この少年も、アサギのように結構な身分の者なのだろうか。確かに落ち着いた物腰はリィンやアカネ、アヤメと三つしか違わないとは思えないけれど。
 くすくすと笑いながら、少年は立ち上がった。リィンの心境を読み取ったように口にする。

「別に歳不相応な行動が立派なわけではないよ。歳相応にはしゃいだり、ミスをすることが一番大事さ。
ミスが許されない状況下に未成年を置く方が不自然なんだ」

 側にいたメイドを、カルミノの言葉で呼び止める。数回言葉を交わすと、メイドは空のトレイを差し出して、彼はその上に空になったグラスを置いた。メイドは一礼して去っていく。

「随分、眉間に皺を寄せているようだけど。何かあった?」
「いや、そんな大したことじゃないんだけど……」
「くすっ。道にでも迷った?」
「う……」

 この人には人の心を読む技術でもあるのだろうか。そう思ってまじまじと見ていると、少年は不意にからからと笑う。

「別に不思議なことではないよ。この城は一般の人には広すぎるし、実は言うとさっきから使用人が何人にも道を聞かれているのをじっと見ていた」

 「夜会会場?」と端的に聞いた少年に頷くと、先立って歩き出す彼の後に付く。

「君はここは初めてじゃないの?」
「初めてだけどね。昨日、一通り歩いて大体覚えた」
「……」

 さらりと吐いた少年の言葉に、リィンは目を丸くした。リィンはまだ庭園へ出る道と、会場から自分の部屋への帰り方しか覚えてない。
 言葉を失っているリィンに、くすくすと少年は笑い声を上げる。

「まあ、悲しい性というやつだよ。僕みたいな人間は大っぴらに恥を掻けないんだ。だから簡単にメイドに道も聞けない。不便だろう? 実際、昨日はちょっと迷ったよ」
「大変なんだな」
「でも君も少し覚えて置いた方がいいんじゃないかな?」
「何で?」
「君も婿候補の一人なんだろう? もし万が一、婿様に選ばれたらここに住むんだよ?」

 そんなまさか。リィンは笑い飛ばそうとする。でも、少しだけ胸が痛んでそれが出来なかった。

 俺が? あの子の婿になるって? 彼女の、カルミノの王女の婿に?

 いや、違う。俺が会っているあの子はアサギなんだ。エルザ姫じゃない、アサギという一人の少女。だから、そんなこときっとありえない……。

「……」
「……と、すまない。何だ?」

 気が付くと、反応がないのに戸惑ったのか、少年がじっとこちらを見つめて来ていた。
 いや、戸惑っているようには見えない。何かを見透かされているような、胸を割かれてすべて見られているような。そんな感覚。
 背筋が凍る。少年はリィンの声に反応せず、何故か意味深な表情で「ふーん」と相槌を打った。
すっ、と優雅な動作で踵を返すと、廊下の向こうの大きな扉を指差す。そこまで来ればリィンだって分かる。夜会会場の広間の扉だった。

「あ、ありがとう……」
「大したことはしてないよ、それじゃ」
「ま、待ってくれ!」

 昼間と同じ、足早に立ち去ろうとする少年を慌てて呼び止める。でも、何を言おうとして呼び止めてしまったか分からない。そんなこと考えてなかったのだ。
ただ、振り返った少年の表情が、一瞬前とは随分違って、妙に悲しげで、どこか寂しげで。
そうだ。アサギの、あの少女の、最初に見せた表情と、どこか似ていたんだ。
こういうとき、どうすればいいのだろう。ああ、思いつかない。ふと、会場内にいるはずのジンの顔が浮かぶ。

「えーと、さ。二度も世話になってすまなかった。もし、良かったら俺の保護者、っていうかお目付け役なんだけど……。
 会っていかないか? 適当な話し相手になるよ。あそこで一人で飲んでるよりきっといいだろう?」
「……」

 少年は少し思案した。天井を見上げたその顔に、ほんの一瞬ではあるが苦虫を噛み潰したような表情が浮かぶのをリィンは見逃さなかった。

 ……こっちの少年には、少し、強引さが必要なのかもしれない。

「ほら」
「!」

 リィンは少年の袖を引っ張った。ああ、誰かにも似てると思ったらエクルーじゃないか。あのすました顔で、一通りのことはこなせるくせに、一人で問題を抱え込んでるような表情をするとこなんかそっくりなんだ。




 
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