ヒメサマのい・う・と・お・り
1
少し遠くで二人の男がなにやらお互いの腹を探り合うのを聞きながら、紅の髪の騎士は小さく溜め息を吐いていた。どこでもかしこでも同じだ。今宵の夜会会場の大広間はこんなにも広いのに、囁かれている噂や談笑の内容は一様にかの姫君への勝手な憶測や自らの自慢話、そうでなければ罵り合いかのどれかしかない。
――何とも殺風景だ。
広間の片隅で傍観を決め込む男の背後から、聞き慣れたくっくっく、という嫌な笑いが漏れる。
ああ、こいつの声でさえましに聞こえるなんて重症だ、本当に。
「人間の浅ましさの見本市じゃねぇか。本当に、人間ってのは自分に正直な奴らばっかりだな。どっかで噂の姫様とやらもほくそ笑んでるだろうよ、三千人を手玉に取る女ってのも、なかなかいないからな」
「……」
自分も人のくせに人の群れを嘲る同僚の魔道技師に、彼は無言を貫く。矛盾には気づいているが、どうせ本人も知っていて言ってるのだ。だから彼も自分に正直に生きている。だから、自分さえ嘲笑っている。
それを知っているからこそ、彼はあえて何も言わなかった。
「……レアシスはどうした?」
「さてね。御大なら部屋に篭ってるか、人気のないところに退避してるんじゃねぇのか? 俺の知ったことじゃねぇよ」
「あいつはお前の大事な患者[クランケ]だろう? 実験体[モルモット]かもしれんが」
「冗談、医者と患者にもそれなりのプライベートの境界線はある。主と家臣の間にもあんだろーがよ。
実験体[モルモット]なら尚更だ。俺ぁ、始終、実験体のねずみの番なんて御免だぜ」
はん、と吐き捨てるように笑い飛ばす。無遠慮な物言いに、紅髪の男は溜め息を吐くが、どうせ口先で言ったところで訂正しようとはしないだろう。
男は再び夜会会場に目を移す。出席している少ない女性客を見つけては敏感に反応し、大声で自慢話を並べる同じ性別の人間たち。
「……食欲旺盛なことだな」
「どいつもこいつも必死なんだろ。うちの御大も本当なら同じ穴のムジナになるべきなんだろーがな。
くっくっく……まあ、中途半端に甘い野郎だぜ」
「……レアシスは目的を達さないつもりではない。だが、ことこの祭りの主旨については、失敗しても構わないと思っている」
「だろーな。考えてもみろ。
別にカルミノの王女を娶るのは御大じゃなくてもいいわけだ。こっち側の重鎮なら誰でもな。だったら人海戦術でも何でも、そのテのおべんちゃらが得意で、深窓のご令嬢たるヒメサマが、まあひっかかりそうなヤツを引っ張ってくりゃあ良いんだよ。
ところがだ。数少ないお供に選んだのが俺とてめぇだぜ? まるでやる気が感じられねぇな」
「……まあ、それについては同意見だ。むしろ失敗を望んでいるとしか思えん。特に貴様についてはな」
「けっ。自分を棚に上げてよく言ってくれるじゃねぇか。」
同僚の魔道技師はふん、と鼻を鳴らしてグラスの中のアルコールを仰ぐ。夜会会場にはもちろんのこと、山と言うほどご馳走が並んでいるわけだが、どうにも目の前の別の食欲旺盛な男たちを眺めていると食べる気も失せるのは何故だろうか。
「それで、レアシスの体調がおかしいと言っていたが」
「ああ……まあ、そのせいでかなり不機嫌だ。いつも通り、表面はにこやかだけどな。
ありゃあ、蜂の巣だぜ。ちょいと突付けばたちまち報復が降って来る」
「突付くのは俺でなく、貴様の方だろう。せいぜい解雇されないように気をつけるんだな」
「くっくっく、まったく怖いもんだ」
「……そこの二人」
声が飛ぶ。自分たちより些か高く、澄んでいてそれでいて変に重さが伴った少年の声だ。
人波に支配されているはずの会場内を、ゆったりとすり抜けて丈の長い黒衣の裾が翻る。周囲をうろついていた自己顕示欲の強いはずの男たちが、彼には何故か自然と道を譲った。
「人の陰口を叩くときは、もう少し小さな声でするものだよ」
「よう、御大。調子はどうだ?」
「君が人の心配をするなんて珍しいね」
「馬鹿野郎、誰がてめぇの心配なんぞするか。てめぇの体に使ってる薬は俺の自作なんだよ、成果を教えろつってんだ」
「そう言うと思ったよ。……今はまあまあかな。昼から薬漬けだけどね」
身体の力を抜くように、少年はやや倒れ込むようにして開いた椅子に腰掛ける。
「……大丈夫なのか?」
「ああ、ありがとう。平気だよ。……少し眠れてないだけだ、大丈夫」
「らしくなく緊張か? 遠足前のガキでもあるまいし」
少年は少しばかり剣呑な眼差しで、傍らに立つ魔道技師を睨むように見る。その程度では変わらない倣岸不遜な態度を見て取ると、諦めて会場の方に視線を移す。もっとも、彼の目には目の前のきらびやかな社交界など映ってはいないのだが。
「……今しがた、アリッシュから連絡が入った」
「……」
「……」
紅髪の騎士も魔道技師も、ふと口を紡ぐ。固い空気がその場を流れた。
「明朝決行。早ければ午前中にも連絡が入る。……それで、勝負が決まる。二人とも、どうか覚悟しておいて」
「……了解」
「……」
騎士はそれだけを答え、魔道技師は黙って残りの酒を煽った。少年はいまいち焦点の合わない目で、流れていくだけの会場を見据えていた。
「……」
魔道技師はしばらくそれを眉間に皺を寄せたまま見ていたが、
「!」
きん、と頭の中にノイズが走る。痛みにも似た、奇妙な感覚。そうして気だるげに息を吐き出す。
だが都合がいい。
「? カシス?」
がたん、と予備動作無しに、相変わらず乱暴に立ち上がった魔道技師に、少年は疑念の視線を投げる。その視線を跳ね返すように、彼は薄い笑みを浮かべると、かつかつと歩き出す。
「ちょいと用事が出来た。どうせ、明日までは暇なんだ……勝手にやってればいいだろ?」
「……君の勝手は本当に勝手だから不安なんだけど。仕方ないね。君の首輪には、そこまでの拘束力がない」
「高いご理解をどうも、ご主人様」
くっくっく、といつもの喉の奥の低い笑いを漏らして、人波の中に消えていく。
「……いいのか?」
「ああ。彼は僕に致命的に不具合なことは起こさないよ。少なくともここにいる間はね。良くも悪くも、自分に正直な人間だから」
さらりと言って自らも立ち上がる。
「なら俺も部屋に下がらせて貰う。 ……ここにいるとどうも調子が狂う」
「古傷が疼く?」
「……」
「冗談だよ。怖い顔をしないでくれ」
「これは地だ」
「ああ、そうだった。くすくす……。
まあ、僕はどうせ帰ったところで眠れやしないから。適当にぶらついてるよ。どうも思ったより神経が昂ぶっているみたいだ」
そうして身を翻そうとしたとき、騎士が一瞬だけ踵を鳴らし、それを止めた。
「……あれがいろいろと何かを嗅ぎ回っている」
「……」
少年の顔がすっ、と真顔に戻る。歩みを止めて、逡巡するように天井を見た。
「カルミノのエルザ姫? それとも王様の方かな?」
「さあな。どうにしろ、例のものの関係ではあるだろうが」
「……まあ、多少の時間稼ぎは出来るよ。アドヴァンテージはこっちにある」
「大した自信だな。何かの確信でもあるのか?」
ふっ、と少年は笑みを浮かべて、僅かに頷く。だが、その確信の内容はついに口にせず、つかつかとその場を後にした。
騎士もまた、柱に背を預けたまま長い息を吐き、人波に紛れるようにその場を離れていった。