Heavenly Days

Chapter4  優斗の笑顔



 優斗は私の言葉を聞くなり駆け出して、眼にもとまらぬ速さで歩道橋を駆け上った。呆気にとられつつ、あとを追いかけると風にのって声が聞こえてきた。
「だから、一人で帰れますから」
「無理だろ。ふらふらじゃないか」
「…っもう離してくださいっ」
 リボンとネクタイの柄が同じなので、きっと同じ高校だろう。
 私の眼にはどうみてもナンパにしかみえなかったからとりあえず優斗の背中からその男の人を睨んだ。見えないから意味ないけど気持ちだよねこういうのは。
「彩菜」
「……え?…優斗…?」
 彩菜さんは、ぱっと振り返り、安堵したように笑った。優斗は彩菜さんの掴まれていない方の手をそっと握る。そのとき、私の心の奥で何かが小さくはじけた。
「こんな人ごみにいるとまたぶったおれるぞ。帰ろう」
「おまえ、誰だよ」
 彩菜さんの前にいた男の人は、眉をひそめた。
「弟です。…俺が連れて帰ります。じゃ」
 その拍子に力が緩んだのか、彩菜さんの腕が解放される。優斗はぐいぐいと彩菜さんを引っ張って、駅につくまで、決して振り返ることはなかった。
 電車に乗り込み、彩菜さんはほっと息をつく。ドアに寄りかかった優斗は、じろりと彩菜を見て口を切った。
「あいつ誰?」
「学校の、…先輩よ。ありがとうね、優斗」
「べつに」
 それだけで会話は終わる。彩菜さんはあまり話したくなさそうだったし、優斗も彩菜さんが無事なら良かったみたい。
(…絡まれてるのが私だったら、優斗…助けてくれないだろうなあ)
 車窓の向こうの夕焼けを見ながら、ふいにそんなことを思った。それから我に返り、頭を振る。いやに頬が熱い気がした。
 優斗の家につくと、もう辺りは真っ暗で、あちこちの家からふんわり夕御飯の匂いがただよってきた。玄関に入ると、優斗はそのままリビングに向かう。その背中に彩菜さんの声が届いた。
「…待って優斗」
 優斗が振り返る。彩菜さんは靴を脱いで、優斗の近くに寄ってから口を開いた。
「今日…どうしてあの駅に居たの?」
「…え?」
「…………武蔵野学院に行こうとしてたんじゃないの?」
(むさしのがくいん…?)
 私は瞬きをして優斗を見た。優斗は無表情で、表情が読めない。だけど、彩菜さんは優斗の瞳をじっと見つめて、息を小さくはいた。そして、柔らかく笑う。
「やっぱり……。武蔵野学院はサッカー部が全国レベルだから…そうよね?」
(サッカー…)
 優斗は一瞬言葉につまったようだった。でも、すぐに苦笑いを浮かべて彩菜さんを見上げる。
「…ちがうよ。たまたまあそこの駅ビルに用があっただけだよ」
「え…?」
「頼んでたCDが、入荷したっていうから」
「…でも、優斗」
「ごめんもう勉強するから」
 そう言い切り、優斗は玄関からすぐの階段を駆け上る。私は階段と、廊下に立ち尽くす彩菜さんを交互に見てから、翼を動かして、優斗の部屋に向かった。

 ◇ ◇ ◇

 優斗の部屋につくと、部屋は真っ暗だった。一瞬優斗の姿が無いと思ったけど、優斗は体育座りをして部屋の隅っこにいた。膝に顔を押し付けているから、表情は見えない。私は、そろそろと優斗近づいて、しゃがみこんだ。
(…泣いて、ない…よね?)
 しばし悶々としてから、とりあえず単刀直入に切り込むことにした。だって、私にはこれしか方法が見当たらない。
「ねえ優斗、サッカーしたいの?」
 返事はない。息をついて、窓の向こうを見上げた。まあるいお月さまが、しんしんと部屋を仄明るくしている。私は躊躇いながら口を切った。
「校庭でサッカー見てたよね。すっごくやりたそうだった。ねえどうして我慢するの?」
「…………うるさいな」
 くぐもっているけどはっきりとした声音が返ってくる。明らかに苛立ったそれに、私は一瞬肩をすくめた。けど、どうしても言わなきゃいけない気がして、言葉を紡ぐ。
「武蔵野学院行けばいいじゃん。有名なんでしょ?サッカー思いっきり出来るんじゃ…」
 最後まで言い終わらないうちに、優斗が顔をあげ、目の前の私を強く押した。予想外だったから、簡単に重心が崩れて、がたん、と床に背中がぶつかる。私は茫然と優斗を見上げた。
 優斗は立ち上がり、声を張り上げて怒鳴った。
「………てめえには関係ねえだろっ!!!」
(…っ)
 頭のてっぺんが沸騰しそうな勢いで熱くなって、私は負けじと立ち上がり優斗を睨んだ。そして、はっと目を開く。優斗の瞳は、怒りでも、悔しさにも染まっていなかった。深い、深い、哀しみに彩られていた。
「…関係あるもんっ私は優斗の天使だもん!!」
「勝手にお前がそう決めたんだろっ!!迷惑なんだよっずかずか割り込んできて!」
 私はきっと眉をつりあげて、優斗の腕を握り締めた。優斗は振り払おうするけど、絶対に離さなかった。私は、ずいっと顔を近づけて、ありったけの声で叫んだ。
「優斗の馬鹿!嘘つき!弱虫毛虫のいじけむし!!!」
 ぽろ、と冷たい感触が頬を伝う。泣かないつもりだったのに、結局泣いてしまった。情けなくて、悔しくて、色々な感情がないまぜになって、とにかく優斗だけは真っすぐ見つめた。
「…消えろよ」
「…!」
「どっか行けっ!もう俺の前に二度と現れるな!!」
 突き放した声音に、色々なものがせりあがってくる。泣きだしたい衝動にかられて、必死にそれを押し込んだ。
「………優斗なんて、もう知らない!!」
 私は勢いのまま窓に駆け寄り、夜空に飛び立った。後ろは振り向かなかった。ぬぐってもぬぐっても、涙が零れおちていく。

(おかしいよ。絶対におかしい)
 優斗と初めて出逢った公園の、街灯の上に降り立ち、膝を抱えて座り込む。
(だって、優斗すっごく痛そうな顔してるもの。ちっとも嬉しそうじゃないもの)
 唇をかみしめて、星空を仰ぐ。都会の夜空は明るい。天界の空は零れおちそうなほどの星屑が見られるのに。
 そんなことをぼんやりと思ってから、下界を見渡す。そして、のろのろ立ち上がった。

 

 どうしても、優斗の笑顔が見たい、と思った。





 
BACK   |  TOP   |  NEXT