Heavenly Days
「だーかーらっ優斗の願いを叶えに来たのっ」
機嫌を損ねたように声を荒げて、女の子-セラは繰り返した。場所は俺の部屋。セラはもう帰らなければと言った俺に無理やりついてきたのである。さっさと出て行ってほしいのが本音だ。
「…あんたさあ、暑さでどっか…」
「ちっがーうっ!!!私は天使なんだから暑さなんてへっちょこよっ」
(へっちょこ…?)
「や、天使って…コスプレーヤーじゃないの」
「は?こすぷれ?何言ってんの!これは本物っそれでこれが神様からの指令書!ほらここに『セラや、強い願いを持つ人間を見つけ出して、幸せにしてまいれ』って書いてあるじゃん!」
セラは羽を自由自在に動かしながら、青色の封筒から出した便箋を俺の顔にこすりつけるように突き出した。俺はそれをおしのけてまくしたてる。
「なんだそのどっかの祖父さんが孫に書いたみたいな手紙は!」
「祖父さんだなんて失礼ねっ神さまって言ってるのに聞こえてないの!優斗のばーかっへなちょこりんこーっ!」
セラは御丁寧にも口に手をそえて叫ぶ。俺は堪忍袋の緒がきれて、ぐわっとかみつくように叫び返した。
「変な日本語で人をけなすなっ。さっさと帰ってくれ!」
「やだ」
「は?」
「優斗のほんとの願いを見つけて叶える手助けをするのが私の役目なのッそうしたら正天使になれるのっ」
「はいっ?!!てか最終的にお前のためじゃねえかっ」
「ちがうもんっ優斗のためだもんっ」
俺は激しい頭痛に襲われて、ふらりとよろめいた。その間にもぷりぷり怒るセラの背中にある片翼は休む間もなくぱたぱた動いている。
「……ちょっと聞いていいか」
「はい優斗」
大きな瞳が俺を捉える。胸の奥がどきっと高鳴った。それを無視して、口をひきつらせながら俺は聞いた。
「もしかして、そのお役目ってやつを遂行するまで、お前…」
俺の言おうとするところを察したセラは、屈託もない笑顔を浮かべた。…周りがきらきら光っているのは気のせいだろうか。
「優斗の傍にいるよ。なんで?」
間。
「ふざけんなあああああっ」
俺は手近にあったクッションをセラに投げつけた。
「わわっ」
セラはふわりと浮かんで、衝撃を避ける。それにさえいらだちを感じ、俺は早口でまくし立てた。
「俺は受験生なんだぞっ夏休み追い込み寸前の身分なんだよっお前みたいなわけわかんないやつにかまってる暇なんてないんだっ他のやつのとこいけっ」
黙って俺の声を聞いていたセラはぷうっと頬をふくらませて、俺の腕を掴んだ。そして、俺に負けず劣らずの怒声を張り上げる。
「やだっ優斗に決めたんだもんっ絶対ぜったい離れないもんっ」
「この…っ」
ぶちんと何かが切れた。俺は次の怒号をかますために酸素を思いっきり吸い込んだ。その間に、セラはみるみるうちに涙ぐみ、責めるような声音で言葉を紡ぐ。
「優斗私のこと嫌いなんでしょっそうなんでしょっ?ひどい…っ」
そう言い終わったセラの白い頬にぼろぼろと涙が伝っていく。ぎくっと身体が強張ったのがわかった。
「な、なんでそこで泣くんだよっ」
その時。ノックの音が聞こえてきた。
「……優斗?入るわよ?」
次いで聞こえてきた声に、全身の血が一気に下がっていくような感覚を覚えた。いまだに泣きぼろめいているセラの腕を掴んで、辺りを見回す。ベッドの下はゲームで埋まってるし、クローゼットの中なんてもってのほか。隠れられるところなんてない。右往左往しているうちにドアが開いて、姉の彩菜が顔を出した。
「あ、彩菜っえ、こ、これは、その…っ」
彩菜は訝しげに俺を見て、部屋を見回した。その視線がセラで止まらずに素通りする。
(…え?)
「一人でなにやってるの?リビングまで響いてるわよ」
一人≠ニいう単語に、二の句がつげなくなり、俺はセラと彩菜を交互に見てから、やっと言葉を紡いだ。
「え…?あ…ご、ごめん。浩二と、電話してたんだ。明日の、塾の宿題のことで…」
すると彩菜は納得のいったように微笑んだ。
「そう。まだ勉強続けるの?」
「うん」
そう返すと、彩菜は心配そうに眉をひそめた。さら、と長い髪が肩を零れ落ちる。
「あまり根詰めないでね?」
「わかってるよ。彩菜も、早く寝ろよ」
俺の言葉に、彩菜はあら、と心外そうに瞬きをした。
「お姉ちゃん、でしょ?お父さんのごはんの支度したら寝るわ。心配しないで」
「あ、そんなの俺がやるから、彩菜は寝ろよ」
慌てた様子の俺を、彩菜はくすくす笑いながら見る。
「大丈夫よ。心配症ね。何かほしいものある?」
「なにもないよ。ありがと彩菜」
彩菜はやわらかく微笑んで、部屋を出て行った。一気に脱力し、その場に座り込む。ふと、セラが俺のベッドの上で難しい顔をしていることに気付いた。
「おい、どうしたんだよ」
思案気だったセラはぽつりと漏らした。
「……優斗のお姉さん、生≠フ気が薄いね」
「っ…それ、どういうことだ?」
セラの言葉に、心臓が嫌な音をたてた。俺の声が微妙に震えていたことに気付いたのか、セラは驚いたように俺を見た。
「え?あっあのね違うの。お姉さん、何か大きな病気したでしょう?そう言う人はね、生≠フ気配が薄くなっちゃうんだよ」
慌てたようにまくしたてるセラの声は必死そのものだった。そして、それを聞く俺の表情も硬かっただろう。
セラは一呼吸置いて、ふんわり笑った。俺を安心させるかのような穏やかな笑顔だった。
「でもね、お姉さんだんだん濃くなってるから、もう大丈夫だよ。私が見えないのがその証拠」
大丈夫=Bその言葉に心底安堵した。事実姉の彩菜は先年心臓疾患で生死の境を彷徨ったのだ。幸い手術が成功し、今は普通に高校にも行けている。
「…よかった」
心の底からそう呟いてから、ふと疑問が頭をよぎる。
「……って俺は?」
「優斗は契約してるから」
「ハンコもなにもおしてないけど」
セラはいたずらっぽく笑って、人差し指を俺の鼻にあてた。
「生の気配が強くても、見える人は稀にいるんだよ。天使との契約が必要だから。で、その人の名前を私が詠唱すれば、契約成立」
間。
「………っだま、…っされたっ」
やりばのない憤りに捕えられ、クッションを殴ることでその感情を押しとどめる。そんな俺をセラは楽しげに見つめる。
「それよりもさあ」
驚くほど真剣な声色に、俺はクッションを殴る手を止めた。
「?」
「優斗って、シスコンだったんだ〜っ」
(……)
一瞬意識が飛んだ気がした。どうにか思考を戻し、セラに向かってかみつくように怒鳴る。
「うるさいなっ」
「否定しないんだああ」
ころころと笑いながら、セラはふよふよと部屋中を飛び回る。俺からのクッション攻撃は一度も当たらない。苛立ちが頂点をつき、俺はおもいっきりクッションを蹴った。
「さっさと出てけわがまま天使ッ!!」
「あ、ひっどーいっ」
そして、あまり事態は好転しないまま、夜は更けていった。