ヒメサマのい・う・と・お・り

第8話 白日の悪夢



 カルミノに入った時から、アルのもうない左腕がうずいていた。近い。きっと近いのだろう。だが長老と泉守りは、その“石”によって痛みが和らぐはずだと言っていたのに。そして、未だに“石”の後遺症で苦しむ、かつての“石の子供たち”を救うのに役立つはずだ、と言っていたのに。
 イドラに点在する泉をつなぐ地下水路とその源となる地底湖、そしてそこに棲むホタルが、砂漠の国イドラを守ってきたのである。
 本当は国とさえ呼べない、王様も軍隊もない、文字も農耕文明もない少数民族イドリアンの部族集団が、他国に蹂躙されることなく、昔ながらの遊牧をしながら独立を守ってこられたのは“蛍石”のおかげなのである。ホタルは、一見サンショウウオのような青白い燐光を放つ生きものだ。空を飛び、人語を解し、齢1000年を経て水神ミヅチとなる。その遺骸は数千万年を経て“蛍石”と化し、水鏡のように人の未来を写し、導くのだ。ギリギリの荒野の生活で、イドリアンが存続してこれたのは、ホタルを通じて聞いた“蛍石”のお告げに従って来たからなのだ。
 ミヅチが絶滅した今となっても、他国の人間は蛍石の祟りを畏れてイドラに手を出さない。

 いや、出せなかった。
 
 しかし、約50年前、蛍石の力に目をつけたアフラ・マツダ教団が、素質のある子供、数百人を集めて、最強の戦隊を作ろうとした。子供の左腕に蛍石を埋め込み、強力な暗示と薬物コントロールで思考力を奪って。
 くそっ。腕が痛む。リィンと一緒に来るべきだった。あるいはエクルーと。あいつらに触れてもらうと、なぜかいつもウソのように痛みが退くのに。散開して石を探そうなどと考えなければ良かった。
 それでも、俺は幸せなのだと思う。暗示を破って、左腕から石を引きちぎって逃げたおかげで、今こうして正気を保っていられる。だが、その後何年も錯乱して、他の子供を助けに戻ることができなかった。
 くそっ。結局俺はひとりで逃げたんだ。そして今、他の子供は、石から解放されても、教団に操られて犯した罪の重さと、錯乱した悪夢に苦しんでいる。
 この10年で半分の実験体が衰弱して死んだ。
 残ったものも、泉の底で昏睡することで、ようやく生き長らえている。ミヅチを祠る泉守は、石の子供たちを“蛍の落とし子”と呼んで面倒を見ている。
 そうして、今回のお告げを得たのだ。“南西の国カルミノに、蛍の落とし子を救う石がある。古えの賢者が地下深い秘密の室で生み出した石を探せ” ――何とも心許ないお告げだと、あてにしていなかった。
 すると、ジンが大賢人アナクシマンドロスの文献を見つけてきた。そして、大園遊会のチャンスが降って湧いた。これはもう、行くしかない。

 だが、これほど腕が痛むのは予想外だった。その“賢者の石”が呼んでいるのかもしれない。しかし、これほど痛むとは……。

 アルは、立っているのもつらくなってきた。これほど痛むと、気を失ってコントロールできなくなるかもしれない。とにかく、壊してしまいそうな建物から離れるべきだ。アルはよろよろと、東屋が点在する庭から、比較的開けた農園の方に移動した。さっきから、あいつらを呼んでいるのに、聞こえないらしい。こっちからも、あいたらが見えない。石の力に邪魔されているのかもしれない。

 まずい……目がかすんできた……。


 突然目の前に竜巻が現れたときはどうしてくれようかと思った。
 何故、今日の自分はこんなにも運が悪い。

「我望む、阻むは幽玄の炎を纏う冷厳の刃、守護せしめよ、プロテクトウォール」

 カシスは障壁の呪文を唱えて、打ち付ける木っ端や石を弾き返す。

「……ふん」

 何事かは知らないが、こんな面妖なものに絡む必要性は感じない。わざわざ身を危険に晒してまで原因を手繰るような趣味はなかった。

 だが、

 ―― ……

 頭の中にノイズが走る。先ほどから小うるさい、このノイズじみたSOSは何なのだ。
 カシスは助けを求める相手を平気で見捨てられる人間だった。それが人間というものだと信じていたし、第一赤の他人を助けるような義理がこちらにあるわけでもない。あるとしたら気紛れの例外だけだ。
 それでもこの声は――。なぜかはわからない。無視できなかったのだ。
「ちッ……」
 舌打ちをして竜巻の中心を睨みつける。まったく、皇太子の甘い性格がとうとう俺にも感染してきやがったか。
 竜巻の中心には、長身の男がいた。
 乱流に巻き上げられた枝葉や砂利が、凄まじい勢いで男の肌をムチのように打っていた。しかし男は、自分の内なる痛みに耐えるのが精一杯で、旋風の攻撃に気が付かないようだ。いや、むしろ、男は自分自身を痛め付けるために、旋風を巻き起こしているのかもしれない。
 外からの痛みが強ければ強いほど、内なる痛みが忘れられるとでもいうように。
 カシスは嘲笑うように鼻を鳴らした。

「迷惑な男だ」

ためらわずに竜巻の中に入ると、カシスは手加減無しに男の後頭部に手刀を打ち込んだ。
 男がくず折れると同時に、それまでの荒事が幻だったかのようにつむじ風が止んだ。
「自殺なら一人でやりやがれ。ただでさえ死体の処理は手間がかかるんだぞ。他人様にそれ以上の迷惑かけんじゃねぇよ」
 傷だらけで倒れて呻いている男を見下して、カシスはもう一度舌を打つ。
 ああ、まったく、あの黒衣の小悪魔も同じような視線で自分を見ているのかと気がついて胸糞が悪くなった。
「――?」
 ふと見下ろした倒れている男の左腕が、不自然な角度に曲がっていた。腕に打撃など与えてないし、腕が折れるような風でもなかったはずだ。不審に思ってよく見ると、左腕の付け根のすぐ下から義手だった。
「……」
そしてこれが、男の痛みの中心らしい。男の左肩に触れると、痛みがビリビリと伝わってきた。
 ああ、ああ。なお一層、胸糞が悪くなる。
 カシスは呪を唱えながら、護符を通した細い帯を、男の左肩に巻いた。

 ――しかし奇妙だな。何にそんなに錯乱してやがったんだ?

 ようやく痛みから解放された男が、薄っすらと目を開く。口を開きかけるが、意識が曖昧なのか何なのか、ついには言葉にならなかった。

「また苦しくなったら、俺を呼べ。カシスだ」

 男がかすかにうなずいて、今度は安堵して目を閉じた。
 竜巻に気付いたエクルーが駆け付けた時、アルは一人だった。


◇ ◇


 がたんッ

「……」

 乱暴にドアが開かれる音に、黒衣を纏った少年はちらりと瞼を上げる。この部屋のドアをこんな音をさせて開くような輩は、少なくともここには一人しかいない。
 白装束を着た白子の魔道師は、そのままつかつかと人のベッドに歩み寄って、無遠慮にどかっと腰掛ける。
「……随分と機嫌が悪いじゃないか。どうかしたの?」
「……まぁな」
「人助けでもしちゃった?」
「……」
 ふん、と鼻を鳴らす無言の返答が返って来た。彼は胸中だけでほくそ笑む。
 人に甘い甘いと言いながら、人間を捨て切れていないのはカシスの方だ。それが羨ましくもあるし、むしろ本人ですら気づいていないその部分を彼は高く買っている。
「そう苦い顔をするものじゃないよ、図星?」
「……ああ、それも連続して二回もだ。むしゃくしゃしやがる」
「それは珍しい。明日はカルミノに雹か弓矢か、はたまた槍でも振るのかな?」
「ちッ。言ってやがれ、糞野郎」
「不敬罪で処罰するよ、カシス」
 けっ、と吐き出して壁に寄りかかり、カシスは初めて気づく。テーブルに空の注射器二本も転がっている。ふとゴミ箱を見ると、空になった袋が二、三袋入っていた。

「どうも調子がよくなくてね。少し多めに使ってる」
「そいつぁ無理矢理、精神と肉体の均衡を取る薬だ。痛みの緩和と言やぁ聞こえはいいが、要は麻酔薬、悪く言えば中毒性のない麻薬だぜ。多用は避けるんだな」
「分かってるよ。でも、いくらなんでも今、倒れるわけにはいかないからね」
 カシスは天井を眺める。むやみに豪奢な装飾の天井だ。いけ好かないと心のどこかで思いつつ、思考を走らせる。
 カルミノに入ってから薬の減りが加速している。それだけ少年が体に異変を感じているということだ。

 そして、不意にあの男を思い出した。左腕に義手をつけたあの男。だだっ広い農園の真ん中で、何をそんなに錯乱していたというのだろう。いや、それともあるいは――

「……ああ、なるほどな」
「何が?」
「いーや、別にぃ」
 一転してにやついた笑みを浮かべて、カシスは立ち上がる。その動作に不吉なものを感じて、少年は部屋を出て行こうとする彼に声をかけた。
「カシス、言って置くけど」
「軽率な行動は控えろ、だろ? 聞き飽きたぜ。ンなことより、ちょいと調べたいことがあるんでね」

「……」

 それきり人の話も聞かずに部屋を出て行ってしまう。残された少年は、溜め息をついて、やれやれと首を振るしかなかった。




 
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