ヒメサマのい・う・と・お・り
ばたんッ!
「はぁ、はぁ、はぁ……」
ドアを閉めて荒い息を吐き出す。ばたばたと、慌しい足音がドアの向こうを素通りしていく。
エルザはほっと胸を撫で下ろす。だが、視線を上げて、さらに心臓が跳ねた。
城内を逃げ回り、がむしゃらに入った部屋には、先客がいたのだ。そこそこの豪勢な客室の中、ゆったりとした窓辺にある猫足のテーブルに誰かが付いている。
中途半端にティーカップを持ち上げたままで、少年はやや驚いた表情でこちらをまじまじと見つめていた。
一方で、エルザもまじまじとその少年を見てしまう。
椅子の背もたれにもたれる姿には、歳不相応の優雅な物腰。窓から差し込む光も、彼の漆黒の髪には反射できずに散っていく。白い顔に浮かんだ瞳は、黒曜石のような綺麗な黒色。
それだけを見れば、まるで女と見紛うような美貌を持った少年だ。
だが、その出で立ちは奇妙なものだった。全身を飾り気のないゆったりとした黒い服に身を包んでいる。これではまるで喪服のようだ。
そして何より異様だったのは、カップを持ち上げる手にも、長い前髪が覆う右頬にも、覗く胸元にも、痛々しく包帯が巻かれていることだった。左の顔半分だけが、かろうじて包帯の拘束を免れていて、先ほどの容姿を晒しているのだった。
彼はすっと、見えている片目だけを細めてエルザを見る。
エルザははっとして、慌てて頭を下げた。
「ごめんなさい! い、いま、出て行きますからッ!」
くるりと半回転して、再びドアノブへ手をかけたエルザを、少年本人が柔らかく引き止めた。
「……追われているんですか?」
「え?」
どんどんッ!
「ッ!」
そのとき、ドアが荒々しくノックされる。跳ね上がらんばかりに驚いたエルザはぱっとドアから背を離してしまった。
「失礼します! 少しよろしいでしょうか! お願い致します!」
野太い衛兵の声が外側から響く。エルザはおろおろと周りを見回し、地に足が付かない。
それを見て、少年はその場にそぐわない優美さでゆっくりと立ち上がった。
「入って」
「え?」
少年は静かにかけていたテーブルの、長いテーブルクロスを持ち上げた。その意味を瞬時に悟ったエルザは、ぱっとそこに滑り込んで蹲った。
少年が手を離して、元のようにテーブルクロスが閉ざされる。
薄暗くなった視界の中で、心臓を抑えていると、かちゃり、とドアの開く音がした。
「失礼致します! 申し訳ありません、ここに女の子が来なかったでしょうかッ!?」
「いいえ。どんな子です?」
「こう、長い青銀の髪で美しい緑色の目をした15歳くらいの女の子なんですが……」
「生憎、今日はメイドさんが一度、ベッドメイキングに来られただけですよ。そのような子は見てないですね」
「そうですか。すいませんが、少々部屋の中を調べさせてもらってもよろしいでしょうか? 貴方が知らない間に入り込んでいる可能性もある」
どきり、と心臓が跳ね上がる。そう難しいところに隠れているわけじゃない。衛兵が押し入って、テーブルを倒してしまえば最後なのだ。
祈るように両手を合わせて、エルザは息さえ止めて膝に顔を埋める。
が、
「……失礼ですが、お断りします」
「しかし……ッ! ここにいる間は城からの指示に従っていただかないと……ッ!」
「プライベート、という言葉をご存知ですか? 少々、見られたくないものもありましてね。
それとも……。
カルミノの王は、他人の私事を無遠慮に荒らすような礼節のない王、という噂が諸国に流れても構わないので?」
「――ッ!」
「まあ、判断するのは貴方ではなくてカルミノ王でしょうが。どうしても部屋を捜索したかったら、王から礼状でも貰って来ることです。
……ああ、王に訴えるときには先ほどの言葉をお忘れなく。首になるのは貴方の方でしょうが……」
「わ、分かりました、分かりました! 申し訳ありません! 失礼致します!」
最後の衛兵の声は、心なしか上擦っていた。
ばたん、というドアの音がする。エルザはその音が響いても、しばらくの間じっと膝を抱えていた。
「……もう大丈夫ですよ」
少年のその声がして、ようやくエルザはのろのろとテーブルの下から這い出した。
「あの……ありがとうございます……助かりました」
「いいえ、気にせずに。僕としてもどうせ招くなら粗暴な男性よりも、可愛らしいレディーの方が好ましい」
「へ?」
「お急ぎのようですがお茶の一杯くらいはいかがです?」
少年は半分だけの顔で微笑み、テーブルに置いてあったポットを振って見せる。
強烈な喉の渇きは走ったせいなのか、それとも苦手な男性の前だからか。ひどく居心地が悪くて落ち着かないのだが、渇いた喉にお茶は魅力的で、ついでに今ここを出れば外の衛兵に見つかってしまうかもしれない。
葛藤を続けて沈黙していると、少年はくすくすと声を漏らして笑った。
「大丈夫ですよ。取って食いやしませんから。ちょうど話し相手でも欲しかったところです。客人相手のお仕事だと思って、少しばかりお相手願えませんか?」
「は、はぁ…それなら…」
雰囲気に巻かれてつい、頷いてしまうと、少年は手際よく新しいティーカップを用意し始めた。
おそるおそるテーブルに着いて、少年がティー・ポットにお湯を注いでいくのを眺める。
表情は柔らかな少年だが、やはり目に付くのはミイラのような奇妙な出で立ちだった。ゆったりとした黒服の袖から覗く包帯だらけの手が優雅な動作でお茶を注いでいく。
「…あの」
「?」
「訊かないんですか?」
「何を?」
「私が……その」
上手く言えずに言い澱んでいると、少年はまたくすくすと笑う。テーブルの上のバスケットに入った小振りなマフィンをさりげない所作で勧めながら、
「何故、衛兵などに追いかけられてるか、ですか?」
「え、えぇ」
「興味がありませんからね」
「……?」
「どう転んでも良くない事情だろうことを、わざわざ聞き出すような趣味はありません。貴女が話したいなら話は別ですが」
「でも、何故さっきは助けてくれたのですか?」
いきなり部屋に飛び込んできた無礼なメイドを庇うような客人はいないだろう、普通なら。むしろ、無礼を問われて突き出されるのが良いところ。
だが、少年は涼しい顔でカップに琥珀色のお茶を注ぎながら、あっさりと答えた。
「貴女が助けて欲しそうな顔をしていたから。それだけです」
「え…?」
「言ったでしょう? どうせ招くなら粗暴な男性より愛らしい女性の方が良い、って。
貴女自身に興味はあっても、貴女が追われている理由なんかに興味はありませんよ。さあ、どうぞ」
「は、はい…イタダキマス…」
あまりにもすらすらと答えを並べる少年に茫然としながら、エルザは差し出された茶のカップを受け取った。バスケットのマフィンの甘い香りも彼女を誘惑する。
魚の小骨が喉に引っかかったような、少々違和感を感じながらも茶に口をつけて、
「……美味しい」
「ありがとうございます」
思わず感嘆の声を漏らしてしまった。やや癖はあるが、嗅いだことのない不思議な花の香りがする紅茶だった。
ふわりと上品な、自然な甘さ。飲み込むと、甘い蜜の香りが口腔に漂って、やがて潔くすっきりと消えていく。
「……飲んだことのないお茶ですわ」
「国で作られている茶葉です。桂花という花から作られるんですよ。
……でも、ここは水が違うんですかね。もう少し複雑な香りが出るはずなんですが」
同じようにカップを傾けながら、少年はどこか遠い目で窓の外を見る。その眼差しが、わずかに、何故か寂しく見えて、エルザはカップを傾ける手を止める。
「……ここの国の方ではないのですか?」
気が付けばそう問いかけていた。少年はカップを置いて首を縦に振る。
「ええ、まあね」
「…それでは…貴方も…ええと…」
「『カルミノの姫の婿選びに?』」
「あ、はい…」
小さくしぼんでしまった語尾を読取って少年は問いかける。エルザが頷くと、少年は何故か大きな溜め息を吐き出した。
「残念ながらその通りです。幻滅しましたか?」
「え?」
「真っ当な年頃のお嬢さんには良い響きではないでしょう? 赤の他人を並べて婿選び、だなんて」
「え、ええ…」
心臓がバクバクと音を立て始める。自分の正体などバレているはずはない。けれど、意表をつく少年の言葉にエルザの心臓は必要以上に脈を打っていた。
「来てみて、予想以上のライバルの多さに驚きました。くすっ、これでは、僕の出る幕はなさそうですね。残念です」
残念と言いながら、少年は少しばかり安堵したような口調だった。それを不思議に思っていると、不意に少年は視線を窓の外からエルザの方へと移す。
「貴女はこの催しをどう思います?」
「え?」
「野心旺盛な殿方……まあ、中には例外もいらっしゃるでしょうが、ともかく複数の王子を並べて姫君が選定する、このお祭りを、ですよ」
「ええっと……」
言葉に詰まった。何と答えるべきなのか。何と答えれば、一番危なげがないのだろう。下手なことを言って、正体がバレたりはしないだろうか。
逡巡しながらもう一度少年を見る。深い黒曜石の片眼で、ゆっくりエルザの返答を待っている。
未だ背中に違和感と嫌悪からの寒気は残っている。でも、何故か彼ならば本当のことを言っても大丈夫な気がした。
「あの…姫様は、少し、可哀相だと思いますわ……」
「可哀相?」
「ええ、だって……。今までろくに男性とお付き合いもしたこともないのに、いきなりお婿様を選べ、だなんて、そんな……。
あの、姫様はもっと自由に、好きなときに相手を選んだ方が良いのに…」
「……なるほどね」
しどろもどろに言った答えに、少年はふっと視線を逸らしながら頷いた。
それがどうしてなのか、また寂しく、哀しげに見えてエルザは首を傾げる。何か問いを重ねようとして、けれどすぐには思いつかずに黙ってしまう。
そして、エルザが言葉を選ぶよりも先に、少年が伏せていた目を上げた。
「もうしばらく、話を聞かせて頂きたかったですが……残念です」
「え?」
少年が、そう吐き出すと同時に、
こんこん
「!」
部屋のドアがノックされた。
「殿下、いらっしゃいますか? 殿下!」
少々ハスキーな女性の声がドアの向こうから聞こえた。エルザは慌てて反射的に立ち上がる。その彼女に反して、少年は依然として頬杖をついたままドアに視線を走らせた。
「…っ!」
「殿下、いらっしゃるなら返事をお願いします。殿下、いらっしゃいませんか?」
――どうしよう……でも、殿下、って……
混乱しながら、やや険しい表情をしている少年を見る。少年は小さく息を吐くと、
「ッ!?」
「失礼します。……こっちへ」
いきなりエルザの細い手を取って窓辺へ向かった。意図の分からない彼の行動と、不慣れな包帯に包まれた柔らかい手の感触にぐらぐらと眩暈がする。
少年はもともと少しだけ空けられていたベランダへ通じる窓を全開にした。
そして、
「舌を噛まないよう、気をつけてください。無礼なことをしますが、少々我慢してくださいね」
「…はい…って、え?」
とんっ。
「――ッ!?」
ふわり、と身体が宙に浮く。二重の意味で、だ。
気が付くと少年に横抱きに抱えられて、さらに彼は事も無げにベランダの手すりを飛び越えていたのだった。
悲鳴さえ上げられずに言葉を失う。だって、ここは一階や二階じゃない。落ちたら怪我ではすまないのに……ッ!
エルザは恐怖に目を瞑る。だが、
「汝が主は私。私の名に置いて宣言する、私に仕えよ、私の手にその力を捧げよ。
私は汝に与える―――即ち、『浮遊』[フロウティング]」
少年の小さな声が響くと同時に、周囲で加速していた風が緩和する。三度目の浮遊感。
「はい、着きました」
「・・・!?」
唐突にすとん、と地面に下ろされる。足が、きちんと地面に着いていて、目を開けると目の前は城の中庭だった。見慣れた花壇と水を湛え続ける噴水が、すぐ目の前にある。
「え?え?あ、あれ?」
今、何が起こったのか。少年に問おうとして、まだ身体が密着していたのに気がつく。直前に感じた恐怖からか、足にきちんと力が入らずに彼に支えられるような形になっていたのだ。
エルザは顔を真っ赤にして、振り払うようにぱっと少年から離れる。
「……」
「ご、ごめんなさいっあの…っ」
立場的には助けてもらったのに、少々礼儀に欠ける動作だった。だが、少年はふっ、と小さく笑みを漏らす。
「いいえ。失礼だったのはこちらも同じことです。では、僕は戻りますので」
「!?」
刹那、薄緑色の淡い光が少年を包んだ。同時に僅かに彼の身体が宙に浮き上がる。
今さっき、着地に少年が使ったのもこれだったのだろう。階上のベランダを見上げ、距離を測ってから、少年は今一度こちらを振り向いた。そして、半分だけの顔でにっこりと、見とれてしまうような笑顔を浮かべ、
「なかなか楽しい時間でした。縁があればまたお会いしましょう、お嬢さん[My Sister]」
それだけ言い放ち、答える間もなく、ベランダ伝いに上へと上がって行ってしまった。
「……」
狐につままれたようで、エルザはしばらく茫然として少年が消えた階のベランダを眺めていた。
いきなり抱えあげられた恐怖や恥ずかしさというよりも、何か、恐ろしく奇妙な生き物を見た、そんな感覚だった。
その感覚に浸ってしばし、
「いたぞ! こっちだ!」
「!?」
突如、中庭に響いた衛兵の野太い声に我に返る。中庭に通じる渡り廊下の向こうに、鎧姿の男を認めたエルザは、慌ててスカートの裾を持ち上げて駆け出した。
「殿下、入りますよ?」
がちゃり、とドアノブが揺れてドアが開く。間一髪で部屋に戻った少年は、何事もなかったかのように来客を出迎えた。
「……いらっしゃるなら返事くらいしてください。何事かと思うでしょう」
「ああ、ごめんセレッサ。ちょっと居眠りをしていたみたいだ。気をつけるよ」
「お疲れですか?」
「長旅だったからね。大したことはない。それより、カシスは見つかったの?」
「……いいえ、まだ」
「……そうか。まったく――彼の気紛れにも困ったものだね……」
いつものことだけど。と、吐き出して少年は溜め息を吐く。吐いて、下向きになった視線に、何か光るものが目に入った。
「?」
テーブルクロスから覗くその金属質な輝きに眉を潜める。何気なく拾い上げてみて、
「……」
「殿下?」
「いや、何でもない。ともかく彼を見つけたら回りの人間に粗相しないよう、伝えて置いて。
レンはともかく、彼は一番心配なんだ」
「承知しました」
それだけ言い放つと、少年は頭を下げる部下に背を向ける。ゆっくりと、手の中に視線を落とす。
「……」
しばらくそれを見つめると、ふ、と口元だけで笑う。
そうして何気ない動作で、その拾い上げたカルミノの王国紋章が入った指輪を、そっと懐へと落とした――。