ヒメサマのい・う・と・お・り

第4話 緋色の哀しき剣聖



「なかなかの出来だわ」
 エルザは姿見の前で一回転をしてみせる。そこにいるのはティアラを掲げたカルミノの第一王女ではない。髪を結い上げて、生地は良いが飾りけのあまりない、黒が貴重のワンピースに白いエプロン。
 エルザは満足そうに腰に手を当てて頷いて見せた。
 兵や侍女頭に顔を見られればさすがにバレてしまうだろうが、一度も顔を晒したことのない、宴の参加者たちには分かるまい。つまり、わざとらしく恭しく振舞われることもない。
「さて、と」
 スカートの裾を払って立ち上がる。後は衛兵や侍女たちに見つからないように、使用人の振りをして普段、行かないような場所をうろついていればいい。
「でも、私が行かないところってどこかしら……?」
 散歩好きのエルザにとって城内で普段、行かない場所は限られる。しばらく唸ってから、エルザはぽん、と手を打った。


 城内から外へ出てすぐ、城の裏手にその場所はある。普段は剣戟の音が響いていて、エルザが近寄り難い場所。だが、今日という日は静まっている。
 その円錐形の屋根が乗る巨大な離れは、兵士たちの修練場だった。
 いつもは兵士たちがせっせと訓練に勤しんでいるが、この祭りの三日間だけは兵士が厳戒な警護に当たるため、また各国から集められた客人の不快にならないように訓練は中止されていた。
 観音開きの扉は開放されていたが、その先は少し薄暗い。けれどこんな機会でもなければここに踏み込むことなんてないだろう。格好の隠れ家だ。
ごくり、と唾を飲み込みながら、エルザはおそるおそる足を踏み出した。
 踏み込んだ場所はひんやりと涼しくて、玄関ホールは倉庫のようになっていた。どこかかび臭い。大小様々な剣と弓が並んでいる。使い方の見当も付かないような武具も壁に下がっている。
 大きなクロゼットと天蓋ベッドが瀟洒に佇むエルザの部屋とはまるで別世界だった。
 もう一度、生唾を飲み込んで、人が三人並んで歩けるほどの薄暗い廊下を進んでいく。半分ほど進んで、ぶるりと肩を震わせる。
 冷たさが背筋を撫でていく。やはり戻ろうかと足を止める。
 だが、
 ―― ……?
 返し掻けた踵をまた元に戻す。奥の部屋から人の気配がする。今、ここは使われていないはずなのに。
 兵士だったら見つかってしまう。だから、ここは引き返すのが正解なのだ――
「……」
 しかし、エルザは好奇心に耐えられずに振り返って、また奥へ進み始める。ちらっとだけなら大丈夫。兵士だったら逃げればいいだけの話だ。大丈夫。
 廊下の突き当たりの扉は細く開いていて、光が漏れていた。
 エルザはその扉に張り付いて、都合よく開いている隙間から中を覗き見る。
「……」
 そこは実際の修練場だった。円形のドーム状に天井が広がって、城の広間と同じくらい広い空間が広がる。冷たい石の大きな舞台が、素っ気無く佇んでいて、ところどころに見たこともない修練用の器具が積んである。
 そのだだっ広い舞台の中央に。
 先客がいた。
 最初に見えたのは軽やかに翻る群青のマントの背中。そのマントに映える背中まで伸びた緋色の束ねられた髪。
 背の高い男だった。不意に見えた横顔は端整で、切れ長の目は今は静かに閉じられていた。

 しゃきんッ

 澄んだ音を立てて、その手から巨大な大剣が伸びる。鋭利な銀の光が男の頭上で煌いた。
 かっ、と男の双眼が開かれる。鳶色の瞳が、その前の空間を捉えた。
「――ッ!」
 凄まじい速さで重たそうな大剣が振るわれた。空間が風の唸りを上げる。
 もちろん、男の目の前にあるのはただの空の空間だ。だが、その場で誰か別の誰かが彼に向かって剣を振るっているかのような錯覚さえ抱く華麗さで、男は鋭く斬り込み続けた。
 本で見る血生臭い戦いの擬似、というより艶やかな剣舞を見ているようだった。ドーム上の天井に張り付くようにある窓から差し込む光をスポットライトにして、舞うように剣を振るっていく。
 ――すごい……
 ごくり、と先ほどとは違う意味で固唾を飲み込む。
 遠目に垣間見る彼の目が細められる。細めた瞳はどこか哀しげで、まるで切り込んでいる、見えない相手を哀れんでいるようだった。血気盛んな戦士の目ではない。
 静かに、斬られた相手でさえ、斬られたことに気が付かないのではないかと思えるほど軽やかな剣技だった。

 じゃきッ……

 下段から上段に振り上げられた剣が止まる。それが剣舞の終わりだった。
 男は大きく息を吐き出して、肩から力を抜く。かつん、と剣の切っ先が石畳を叩く。
「……?」
 エルザは俯いた男を凝視する。今、何か――。
「……面白いか?」
「!?」
 唐突に、呆れたような声が男の口から漏れた。どくん、と心臓が跳ねる。まさか、向こうからこっちは見えていないはず……!
「……人を殺すための予行の場を見ているのは、そんなに面白いか?」
「――ッ!」
 上げた男の視線は明らかにドアの向こうのエルザを捕らえていた。完全に、見つかっている。
 どうやら城の兵士ではないらしい。だが、出て行っていいものか。いや、出て行ったとしても何を言えばいいというのだ。男なんて生き物をエルザは知らない。
 逡巡している間に、男は軽く首を振ると、大剣を背中に負った鞘に収めると、ドームの隅に置き捨てていた荷物を拾い上げる。エルザのいる扉とは逆の方向にある扉へと踵を返した。
「ま、待って! …くださいっ」
「……」
 思わず扉を開けて声をかけてしまった。
 男は足を止めて振り返る。無表情に引き締めた面でエルザを見下ろした。影を落とした鳶色の目が、僅かに顰められる。
 声をかけてしまってから、エルザは後悔していた。声をかけたのは良いが、二の句が告げられない。
 一体、自分は何をしようとしていたのだろう。何が言いたかったんだっけ?
「えーと、あー、あの……」
「……」
「えっと、その……」
 あたふたと言葉を探すエルザを、男は妙な生き物でも見たかのように無言で見つめていた。すっと息を抜いて、目を細めると再び踵を返そうとする。
「ちょっと待ってください! あの……!」
「……何だ?」
 返された声は少々苛立っていた。どうにもならない苦手意識が働いて、背筋がぞわぞわする。次の一言をやっと紡ぎ出すまで、エルザは強く歯を噛み締めなくてはいけなかった。
「ごめんなさい」
「?」
「あなたの修練の邪魔をしてしまったから」
「別に、構うことではない」
「……城に招かれた方ですよね?」
「立場的にはな」
 問いかけに、男は実に淡白に、簡潔に返してくる。今の状況下でお客様、ということはエルザの婿選びのための来客、ということだ。
「…じゃあ…何で、こんなところで…」
「ここは修練場だろう。場にそぐうことをしていたまでだ。何か問題があるのか?」
「そうじゃなくて、何でこんなときにここにいるのかと……」
「……」
 その問いかけに、男はようやく意図を汲み取ってくれたらしい。ちらりと、一瞬だけ視線を逸らしてから静かな声で言う。
「……俺は単なるお飾りだ。主演はうちの主なんでな。随分と盛大な祭りなようだが、俺が騒ぐようなことじゃない。
そして俺は日頃の日課をこんなことで止める気はない。それだけだ」
「はあ…」
 それはずいぶんと変わった考え方だな。とエルザは思った。折角来たのだから、宴を楽しめばいいのに。
 腑に落ちない感覚を覚えながら、エルザは次の言葉を選びかねていた。その間に、男は高い天井の窓に視線を投げ、懐からすっと懐中時計を出してぱちりと開く。
「……悪いがそうそう暇でもない。用がないなら俺は行くぞ」
 エルザの返答を待たずして、男は背を向けて裏口へと向かってしまった。
「あ…ちょっと、待って……きゃッ!?」
 焦ったと同時にワンピースの裾を踏んでしまった。バランスを崩して前のめりに倒れる。
 視界に痛そうな石の床が近づいた。
 ――ぶつかるッ……
 目を閉じる。だが、

 とすっ

 来るはずの衝撃はいつまで経っても訪れなかった。
「……?」
 不審に思って脅えながら目を開ける。衝突するはずだった石の床が、思ったよりも遠くに見える。
「……大丈夫か」
「――ッ!」
 バランスを崩したエルザの体を太い腕が支えていた。顔を上げると、目の前に薄っすらと汗をかいた端整な男の顔があった。
「す……すすすすいませんッ!!」
 エルザは慌てて立ち上がって男と距離を取る。唐突な行動だったが、男は相変わらずの無表情で事も無げにマントを揺らして立ち上がる。
 エルザが急に鼓動の早まった心臓を沈めている間に、すたすたと裏口へ向かう。
 ふと、足元に何かが落ちているのに気が付いた。エルザの足元に落ちていたそれは、華美ではないが上品なネックレスだった。小さな青い石が埋め込まれた、透明なベルと銀のリングが通されている。何故か鎖は中途半端な箇所で千切れてしまっていた。
 エルザの持ち物ではない。だったら、あの男が落としたのだろうか。
「待ってッ!」
 ネックレスを拾い上げて、既に裏口に消えてしまっていた男を追う。裏口を潜ると、城の庭だった。周囲を見渡してみるが、あの男の姿はもうどこにもない。
「どうしたらいいのかしら、これ……」
 茫然と裏口に立ったまま頭を悩ませていると、
「姫様ッ!」
「わっ!」
 遠目に衛兵の姿が見えた。エルザは咄嗟にネックレスをポケットに入れて、逆方向に走り出す。
 走り出して、ようやくあの男に訊きそびれていたことを思い出した。そうだ、聞いていいものかどうか、考えあぐねていたのだった。
 男は修練していただけだと言っていた。でも、だったら何故。
 ――何で、あのとき……あの人、泣いていたんだろう……。






 
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