ヒメサマのい・う・と・お・り

第3話 秘密の名前



 何だってこんなところに来てしまったんだろう。
 リィンはもう今日何度目かわからないため息をついた。”石”が必要なのはわかっている。これが、ものすごいチャンスかもしれないことも。でも、自分がこの城で隠密活動などできるわけない。しっぽと長い耳が目立ちすぎるのだ。行く先々で衛兵や、他の求婚者に尋問される。侍女が悲鳴を上げる。日ごろ、エクルーやアヤメたちと分け隔てなく、兄弟のように過ごしているだけに、ここでの扱いが堪えた。
 俺は異形なのか?

 何だか城にいたたまれなくなって庭に出たのに、そこでも井戸から水を汲んできたらしい少女に悲鳴を上げられてしまった。少女はせっかく運んできた重い桶を取り落として、水をこぼしてしまった。普段なら、面倒見のよいリィンだったら、小さい子が水をこぼしてしまったら、自分が汲み直して来てやりたいところなのだ。だが、少女は今にも泣き出しそうに怯えてしまっている。
 やり切れない気持ちで、リィンはその場を逃げるように離れるしかなかった。


 思いに沈んで歩いているうちに、ヘンなところに紛れ込んでしまった。
 背丈くらいのツゲとネズの生垣が、迷路のような弧を描いて、小さな円形の庭を何重にも囲んでいる。庭には、かすかにばら色を帯びた花崗岩の切り石が、やはり同心円のような渦のような不思議な意匠を形作っている。
 何の模様だろう。おそらく生垣も、意味のあるデザインになっているのだろうな、とリィンは眺めていた。あまり考え込まない性質のリィンは、直感的に庭の本質を捉えようとした。
 聞いたことがある。決まった入り口から入って決まった方向へ決まった回数巡って中央の石像に触れると、異相への扉が開く”妖精の庭”。それがここなのか・・・?


 リィンは何気なく、中央の石のサークルを出て、生垣に囲まれた涼しい回廊をひと巡りした。そうして、もう一度サークルに戻ってみると、石像の傍にひとりの少女が佇んでいた。
 ふいをつかれたので、リィンは警戒するのを忘れてしまった。異相への扉を開けて、少女が現れたのかと思った。青味がかった銀の髪が午後の日差しを受けて、意志の強そうなあごの細い顔を縁取っている。その面差しと静かな佇まいが、近くて遠い幼馴染の少女を思い出させて、リィンはしばらく見とれてしまった。
 少女がふいにこちらを振り返ったので、リィンはぎくっとした。
 そうだ。ここでは、俺は異形なんだった。

 少女の目が丸くなった。バラ色のくちびるが開く。

 叫び声を上げられる!

 リィンはとっさに少女をつかまえて、その口をふさいでしまった。少女の目がますます丸くなった。
「叫ばないでくれ。俺は怪しいもんじゃない。正式な招待客なんだ。何もしない」
 少女は落ち着いてじぃっとリィンを見つめ返している。そうして言葉がわかったらしい。こくんとひとつ、うなづいた。
「叫ばない?また衛兵に騒がれたくないんだ」
 少女がもう一度、はっきりとうなづいた。

 ホッとして初めて、リィンは自分が少女の細い身体を抱きしめていることに気がついた。柔らかい。それにミルクのような白いバラのような甘い香りがする。
 ぱっと手を離して身体を放すと、リィンはうろたえて謝った。
「ごめん。悪気はなかったんだ。さっきそこで、小さな子を驚かせてしまったもんで、つい・・・」

 あたふた弁解しているリィンを、少女は少し首をかしげてじっと見つめている。そのくちびるに微笑が浮かんだ。つっと手を伸ばすと、リィンの長く垂れた耳にそっと触れた。それから金色の髪、ほおひげ、まゆのひげ、柔らかい鼻先・・・。それから、じっとしっぽを見つめているので、リィンはしっぽを腕で捉まえて、少女の目の前に垂らしてやった。少女はうれしそうに、少しうっとりとさえしながら、しっぽのふさふさした毛に指をくぐらせ、ほおずりして笑い声をもらした。
 リィンは鳥肌が立ってしまった。こんなこと、ここ数年、アヤメだって遠慮してしなくなっていた。双子の妹の方のアカネは、たまに落ち込んだときなんか、しっぽをなでに来る。あれはきっと、クマのぬいぐるみの代用なのだろう。この少女も、クマのぬいぐるみが必要なのだろうか。

「俺、リィン・ヤチダ。イドラから来た」
 リィンがどぎまぎしながら名を告げると、少女が「リィン」とくり返した。
「君は?」
 そうリィンが聞いても、少女は黙って微笑んでいる。
 リィンはさっきから、この半球で一番話す人口が多い、トラキア語で話していた。この国でも公用語のひとつだったはずだ。少女はトラキア語を理解できても、話せないのかもしれない。

 少女は何かを思いついたように、ぱっと顔を輝かせた。そしてローブの内側から美しい紋章の入ったカードとペンを取り出すと、さらさらと何かを書き付けた。そのカードをリィンに差し出して、にっこり笑う。
 受け取ってカードをまじまじと見たが、リィンには一文字もわからない。どうやらカルミアの文字らしい。
「ありがとう。でも、これ・・・」
 リィンが言いかけると、少女はカードを指差し、それを両手で包んで胸に押し当てるしぐさをした。
「うん。わかった。大事にするよ。ありがとう」
 リィンがカードをケープの内側にしまうと、少女がうれしそうににこっと笑った。

 その時、庭の生垣の向こうで騒ぎが聞こえた。
「確かにこっちの方に来たのか?」
「はい。大きな狼人間でした」
 衛兵がリィンを追ってきたらしい。少女はリィンに中庭へ抜ける回廊を示した。それから、指を自分に向けて、ついと衛兵の声の方に振る。うまくごまかしてあげるから逃げて、というつもりらしい。
「ありがとう。また会える?」
 少女はうなづくと、リィンの肉球と爪のある手をきゅっと握った。リィンもきゅっと握り返すと、走り去った。

 無事に中庭まで逃れたものの、客室に続く西翼に入ったところで、今度は柄の悪い求婚者の一団につかまってしまった。
 リィンはトラキア語で自分は招待客だと説明したが、言葉がわからないのかわからないふりなのか、強面なでかぶつどもに小突き回されて、だんだん腹が立ってきた。ジンに止められているけど、もういい。ひと暴れしてやる。さぞ、すっきりするだろう。

 その時、つかまれたリィンの胸元からさっきの少女にもらったカードがはらりと落ちた。

 途端に、男どもの動きがぴたりと止まった。今まで騒ぎを見てみぬ振りをしていた衛兵がつかつかと近づいてきて、カードを拾い上げ、声高に何か言い渡した。衛兵が恭しく、カードをリィンに返すと、今までにやつきながらリィンをこづいていた男どもが、手のひらを返したように卑屈にぺこぺこ頭を下げて、おもねるような笑いを見せる。よけいに居心地悪くなって、リィンはそそくさとその場を離れた。

 キツネにつままれたような気持ちで、リィンは部屋に戻った。カードを見せると、ジンがにやりと笑った。
「お前、これ、誰にもらった?」
「え、女の子だったよ?」
「どんな子だった?」
「え、どんなって…きれいな髪で、やさしくて、かしこそうな子だった」
 リィンが赤くなっているので、ジンがにやにやした。
「良かったな。エルザ姫に会えて」
「え?」
 リィンのしっぽと耳がぴんとはねた。ジンはカードをひらひら振った。
「これにはな、”この方はカルミノ王家の正式な客人である。この方を粗末に扱う物は、王を愚弄したと同罪と心せよ。エルザ=ナプテラ=カルミノ”って書いてある。王家の紋章入りの正式な勅書だ。一生有効だよ」

 リィンは返してもらったカードをじっと見つめた。
「すごいモノ、もらったな?どうやって手に入れた?」
 ジンの言葉は、リィンの耳に届いていなかった。あの子がエルザ姫?この3日間で相手を決めて結婚するという?
 こんな大掛かりなムコ取り合戦なんてバカバカしいと思っていたはずなのに、今はエルザ姫の結婚がやたらにショックだった。
 
 ショック?なぜだろう?
 きっとあの子の髪が、アヤメに似ているからだ。それだけだ。それに俺と同い年なのに、もう相手を決めて、国のために結婚しなければならないのが可愛そうなだけだ。
 
 それからふいに、また会う約束をしたことを思い出して、リィンはまた赤くなった。
「プロポーズするかどうかはさておいて、友達になれたんなら、お前、時々話し相手になってやればいいじゃないか」
 ジンが妙にマジメな声で言った。
「何だか俺は、あのお姫さんが気の毒でなあ。アヤメやアカネと同い年だろう。まだまだ遊びたい盛りだろうに。決して望んで嫁に行くわけじゃないと思うんだよ。好きな相手ならともかく・・・。アカネがよく、おまえといると元気になるって言ってた。貴重だぜ。そういう効用のある男は」
「うん」
 リィンは答えてうつむいた。そうだ。もし、俺にそんな効用があるんなら、できるだけ支えてやろう。あの子は、俺のしっぽをなでたとき、胸が痛くなるような笑顔を見せた。きっと、あの子は今、クマのぬいぐるみが必要な気持ちなんだ。せめてあの子のクマのぬいぐるみになろう。3日後に、あの子の大きな運命の輪がひとつ閉じるまで。


 翌日、迷路の庭に行くと、昨日の少女が昨日と同じローブをまとって石像の傍に立っていた。
 眉根を寄せて、少し緊張した面持ちをしている。リィンは何のあいさつもせず、黙って少女の傍に歩み寄ると、ぽつんと言った。
「昨日のカード、ありがとう。すごく助かった」
 少女は眉根を寄せたまま、微笑んだ。
「じゃあ、もう、私のことわかっちゃったのね」
「うん」
 少女は微笑んだまま、少しうつむいてリィンから目をそらした。
「ごめんなさい。ウソをつきたくはなかったのだけれど…。でもどうしてかな。あなたの前で、エルザ姫じゃない、普通の女の子になりたくなっちゃったの」
 リィンは胸がまたぎゅっと痛くなった。何か彼女にしてあげたくて、意気込んで言った。
「じゃあ。じゃあ、俺といる間だけは別の女の子になったらいい。何もかも忘れたらいいじゃないか」
 少女が顔を上げた。
「アサギってどう?君の髪の色だ。君の事、アサギって呼ぶよ。アサギは何がしたい?」
「リィンの…しっぽが触りたいわ!」
 少女はしっぽをやさしい手つきでなでながら、目をうるませて今にも泣き出しそうに見えた。
「他には?他に何やりたい?行きたいとことかないか?」
 アサギは目をうるませたまま、にっこりと笑った。
「リィンと遠乗りに行きたいわ。西の湖まで。きっと今頃、小さな白いユリがたくさん咲いているの。薄暗い森の中に、小さな灯りがいっぱい灯ったように見えるのよ?リィンに見せてあげたいわ」
「うん。見てみたい。アサギと一緒に」

 2人は手をつないで、石の庭から出て行った。2人とも、この庭で名づけられた名前は、大きな意味を持つようになることなど、知る由もなかった。






 
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