ヒメサマのい・う・と・お・り
会場が拍手の耳障りな音に覆われた。だが、限られた人間が掛けることが出来る、大広間を見渡すプライベートシートのただ一角は、そこだけ周りから切り取られた空間であるかのように静まり返っていた。
それは、今現在の部屋の主が騒がしいのを嫌うのと、側に付いた人間もまたきらびやかなパーティなどで高揚を催すような人間ではなかったことに由来する。
両手を広げて礼をする大臣が、広間の壇上を下りていく。奥の玉座には、血色の良いふくよかな顔をした王とその后が優美な椅子に腰掛けて微笑んでいた。
大広間を覗く窓の手すりに頬杖をつき、ほどほどに装飾された椅子に足を組みながら、彼は溜め息を吐いてテーブルの上のワインを手に取った。
「……頭が痛む」
「くっくっく……何だ、心臓でも疼くのか。狩りを前にしたハイエナの高揚か? それともらしくもない無責任な罪悪感か?」
「……」
「やめておけ、カシス。レアシスも人間だ。貴様もな」
多数の松明を掲げて照らし出された大広間とは反して、薄暗くランプの灯された部屋のソファに寝そべった白装束の男が喉の奥で低く笑いを漏らす。
嘲笑じみたその笑いを止めたのは、ソファの傍ら、太い柱に腕を組んで寄りかかった長身の男だった。
カシスと呼ばれた白装束の男は舌打ちをしてサイドテーブルに置いてあったワインを、自分のグラスに乱暴に注ぐ。零れた暗い血色の液体が、絨毯にぽたりと垂れて斑紋を描いた。
それを横目で眺め、二度目の溜め息で受け流しながら、シートに掛けた彼はもう一度眼下を見下ろした。
かつん、と靴音を立てながら、彼の椅子の脇に、先ほどまで柱に寄りかかっていた紅の髪の男が立った。
「……随分と多いな」
「三千人、だったかな。一般人から貴族、王族。階級人種、共に様々だけど」
「さてさて、その内、何割が本気なんだか。まあ、何にしても、あの王様もこんなことで娘にいい相手を見つけられると本気で思ってるのかね。本気だったら頭ん中が真っ当かどうか」
「カシス。壁に耳ありだよ」
静かにシートの少年から忠告が飛ぶ。白装束の男はふん、と鼻を鳴らしただけでグラスを仰いだ。
「まあ、気持ちは分からないでもないけれど。
おそらく四割はハイエナ、三割はコバンザメ、二割は光物目的の烏かカササギ、といったところだろうね……。悪ければもっとかもしれない」
「その残りの一割は繁殖期のボス猿だろ。死肉を糧にするハイエナより質が悪ぃ。あっちを向こうがこっちを向こうが、結果は変わらねぇさ」
「……そうかもね」
少年は随分と時間を掛けてワインの一滴を飲み込んだ。くっくっく、とまた低い笑いが耳をつく。
「それで? てめぇはその内のどれに入るんだ? レアシス」
「……さて、ね」
答えて少年はグラスワインの半分ほどを飲み干した。広間のパーティは立食に移ったらしい。がやがやと傍目には賑やかな声が眼下から響いてくる。
しばらく、少年は半分の目でその光景を眺めていた。
見えないはずの妙に歪んだ空間のもやが、瞼に映る。急に吐き気を催した。
「レアシス?」
「……」
沈黙した少年に、不穏な気配を感じたのか、傍らの男が広間から視線を持ち上げる。しかし、少年にその声は聞こえていないようだった。
一度はサイドテーブルに置いたグラスをすっ、と手に取る。
もたれていた手すりの向こう側に、グラスを持ち上げた手を乗り出して、
ぱりぃぃぃんッ!!
「!」
その嫌に澄んだ音は時間差で部屋まで届いた。騒がしいパーティ会場の一角だけが一瞬、静まり返って幾つかの悲鳴が木霊した。
眼下の白翼の天使が描かれた華美な床の一部に、グラスの破片が砕け散って、赤い汚れた染みを作る。わざと狙って落としたのか、怪我をした人間はいないようだが、その一角の空気は一瞬凍りついた。
「レアシス」
「……」
今度は諫めるような声で、紅の髪の男は主の名を呼んだ。だが、少年は聞く素振りも見せずに立ち上がった。
ばさり、とゆったりとした黒装束を揺らして踵を返す。
「レン、カシス」
「……」
「……」
無言でドアの前に立つと、背後の二人の名前を抑揚のない声で呼ぶ。紅の髪の男は構えるように腰に手を置き、白装束の男は荒々しく頭を掻いてソファから起き上がった。
「滞在中は手はず通りに。あれに気取られないよう注意しろ」
「……了解」
「へいへい。馬鹿な真似はしねぇよ」
返答にも少年は何も返さなかった。そのままドアを開けて、彼は音も立てずに廊下を渡っていく。
残された二人も、僅かに視線を合わせた後、お互いに小さく肩を竦めて後を追う。後に残ったのは香りの飛んだワインの残骸だけだった。