君が好きだから
鷺沼ゆかこ。十六歳。普通の女子高生。
恋、してます。
お相手は隣の男の子。
私の大好きな人、です。
カリカリカリ……
シャーペンの走る音だけが響く教室。
こらえきれなくて、あくびを、ひとつ。
理科総合、古典とならんだ五、六時間目の木曜日は、眠るために用意されてる。
絶対、そうだ。でも、私は気合で寝ない。
え?がり勉?違う違う。原因は、私の隣の男の子。名前は木ノ内 斎(いつき)くん
彼はおきまりのようにぐっすりと眠っている。
口を少し開けて、すうすうと規則正しい寝息。
いつもは無口で、無愛想。でも、寝てるときはすっごく可愛い顔するの。それを見ていると、なんだかホッとしちゃうんだ。
ただ、そんないつも眺めてちゃクラスメートの目もある。好きなだけ眺められるのは、皆が眠る、この時間だけ。
あと、もう一つ特権。
ちょんちょん、と木ノ内くんの肩をつつく。
「ぅ……?」
眉が潜められ、ゆっくりと瞼が上がっていく。よく寝るわりに、結構眠りが浅いんだよね。
「10分前だよ」
「あ……さんきゅ……」
「ううん。おはよー」
そう言うと、寝ぼけたまま木ノ内くんは頷いた。
授業中に起こせるのは、私だけ。しかも、木ノ内くんからの頼み。
授業さ、終わる十分前に起こしてくれるか?
いつも、部活とかで疲れて、授業中はほとんどと言っていいほど寝てる木ノ内くん。でも、十分前には起きるようにしてるみたい。一人では起きられないから、私がやってるというわけ。
起きた後の木ノ内くんは、大急ぎで私のノートを写す。
もともと汚いノートの取り方だった私がそうなってからは、本当に綺麗になった。必死で写す木ノ内くんの横顔を、そっと見る。
たまに目があったり、合わなかったり。
『…木ノ内くんの下の名前って、サイって言うんだねー。珍しいね』
『……………』
『はれ?どうしたの?』
『………これ、イツキって読むんだけど』
『え…あ…ごめんね…!』
『いいよ…別に…』
『『…』』
これが、最初の会話。無口なところに苦手意識はあったんだけど、隣になったからには話さなきゃ、と気張った私。
結果は恥ずかしいことになった。
真っ赤な顔をして、私が見ると、なにがおもしろいのか、木ノ内くんは、笑ってた。
始めてみる笑顔。しかもとびきり穏やかな。私はきょとん、と木ノ内くんのことを見つめてしまった。
それに気づいた木ノ内くんは、咳払いを一つ。
『…鷺沼は名前簡単だよな。ゆかこ、だっけ?』
『え?知ってるの?』
『…教科書に書いてあんじゃん。漢字ないの?』
『……うん』
私は自分の名前が嫌いだった。だって、いかにも即席で、しかもひらがなだけって、
親のセンスを疑う。妹には、桃って可愛い名前、漢字をあげたのに。
『へえ…覚えやすくて良いな』
と、また小さく笑った。知らず、私の頬が染まる。
『……そうかな…?』
それから、私は木ノ内くんに朝の挨拶をするようになった。無口で、無愛想なのに、って他の子は言うけど、違う。
こんな優しい笑顔で笑える人なんだよって、喉元まで来てるけど、それはなんでか言いたくなくて、自分だけの勝手な特権にしちゃった。
神様、私、ずるい子ですね。
心の中で、こっそり謝る。両思いでもないのに、図々しいよね。
でも、このままで、幸せだから。もうちょっとの間だけ。
私は、弱虫の、意気地なしだった。
『そんなんじゃ、いつか後悔するわよ』
親友の愛ちゃんにも言われた言葉を、聞いたフリをして、聞かなかったことにした。
ある日の四時間目。いつものように、木ノ内くんを起こせて、ホクホクしていると、愛ちゃんが、少し戸惑った顔をして、やってきた。
「お昼、屋上で食べない?」
「あ、うん良いよーっ」
愛ちゃんは私と十年以上の付き合い。昔から美人で、明るくて、頭が良くて、バスケ部のエース。
自分の意見はすぱっと言えるし、だれとでも気兼ねなく付き合える本当に親友にはもったいない子。
優柔不断で、どっちかっていえば大人しめの部類に入る私とは、正反対。
「……あのね、ゆかこ」
「?なあに?あ、もしかして愛ちゃん…近藤くんと何かあった?」
近藤くん、というのは愛ちゃんの彼氏。
木ノ内くんと同じサッカー部で、実は私が木ノ内くんを好きだってことを知ってる。たまにさりげなく愛ちゃんづてで情報をくれたり、とってもいい人なんだよ。
「違うわよ。…………ねえゆかこ」
「ん?」
「木ノ内、彼女できたんだって」
「………え……?」
私は思わず食べようとしていたお弁当の玉子焼きを床に落としていた。
「…………そう、なんだ。」
間が流れた後、そう呟いて、乾いた笑いを漏らす。
「…………しょうがないよね…」
「諦めるの?」
「だって、しょうがないよ」
「告白ぐらい、したら?」
真っ直ぐに射すくめられて、私は目をそらす。
「……できないよ」
「どうして?」
「………意味、ないから。あきらめられる、もん」
「……何度も言ってるでしょ?人の目を見なさいよ。……言葉はかえられるけど、目は嘘か本当か、分かるのよ?」
私は、それでも顔をあげられなかった。
「……………」
「…………分かった。で、本題だけど…」
「…ほん、だい?」
顔を、ちょっと上げる。
「バスケ部の、小川先輩、知ってるでしょ?今日の放課後、ゆかこと会いたいって。どうする?あまり薦めたくないんだけど…」
「え?!…なんで、私…?愛ちゃんじゃなくて…?」
小川先輩。学校でも結構人気の先輩だ。
「あーのーね!ゆかこは可愛いの。顔もだけど、性格も良いし。結構人気あるのよ?」
「うそ、だあ……」
「嘘じゃない!」
がばっと目を見つめられて、私はなきたくなった。失恋のショックで、それどころじゃないのに、そんな気分じゃないのに。
五時間目。横ではいつものとおり木ノ内くんが眠ってる。
もうとっくに授業が終わるまでの十分前になっていた。
(………できない)
視界が霞む。小さく鼻をすすっていると、視線を感じた。横を見ると、いつのまにか木ノ内くんが起きていた。じっと私を見ていたのだ。慌てて私は顔をそらす。
五時間目が終わると同時に、私は逃げるように教室を出た。
帰りのホームルームがあったけど、これ以上、あそこにはいられなかった。
廊下の影で、うずくまって、身体に腕をまきつけるようにして、泣いた。
「あれ、ゆかこちゃん?」
「え……?」
突然声をかけられて、身を硬くする。目の前には、あの、小川先輩がいた。
愛ちゃんづてで、話したことはある。優しい人だ。そして、茶髪に、香水の匂い。制服も、なんとなくおしゃれに着こなしている先輩。
親切なひとだなと思っても、魅力を感じたことはなかった。
「あ、あの……」
「どうしたの?」
「え……あの………なんでもないんです…、あの、教室に戻るので……」
逃げるように先輩の横を通り抜けようとすると、腕を強くつかまれ、壁に押し付けられる。
「……っ…!」
「あのね、俺と付き合わない?」
「え……あの……」
「いいでしょ?」
「でも……」
こんな状況になっても、私は木ノ内くんのことを考えていた。
寝ている顔、笑ったときの顔、さっきの真剣な顔……。
(やっぱり、あきらめるなんて、できないよ…)
涙が出てきてしまった。
「す、好きな人…いるんです…!だから…ごめん、なさい!」
叫ぶように言うと、先輩が呆気に取られたような顔をして、すぐに笑顔に戻った。
「ふうーん………。そいつと付き合ってるの?」
「付き合ってません……けど…好きなんです。」
「…だったら、いいじゃん。」
先輩の手が伸びて、私の頬にかかった。全身に悪寒が走る。顔が近づいてくるのに、身体が、動かない。
「……や…!!」
「なーんてね。」
ぽん、と頭に手をやられ、先輩は指を伸ばして、横を指差した。そこに目をやり、息を切らしている人物を見て、私は夢を見ているのかと思った。
「王子さまが来たみたいだね」
私だけに聞こえるように先輩は言った。
息を切らしながら、木ノ内くんは、先輩を睨んだ。
「……そいつ、離してください。」
「はいはい。じゃあね。ゆかこちゃん。また遊びにくる」
私から離れて、木ノ内くんの横を通り過ぎると、先輩は私に向かって小さくVサインをした。
(あれ………?)
なんとなくひっかかったけど、いまはそれより目の前にいる木ノ内くんが問題だった。
私は、下を向いて、木ノ内くんは何も言わない。
(言わなきゃ)
私は思い切って顔を上げた。
「……私……」
木ノ内くんは真っ直ぐ私を見た。
「私………木ノ内くんのこと……」
ふと、木ノ内くんが私に歩み寄った。その行動にびっくりして、言おうとしていた言葉が、喉に戻ってしまう。
「きの……」
うちくん、という言葉は、塞がれてしまった。一瞬何が起きているのか分からなかった。信じられなかった。
軽く触れるだけの口付け。私が抵抗をしないと、壁におしつけられて、深く唇をあわせた。
ようやく開放されると私はすっかり力が抜けてしまい、一人では立てなくなってしまった。
(どうして?)
「……鷺沼」
耳元に直接息がかかって、どくんと心臓が跳ね上がる。
「………?…」
「 好きだ 」
(………え?)
「…………好きなんだ。」
もう一度言われ、私は思わず木ノ内くんを見上げていた。真剣な、瞳。頬は赤く染まっていた。
「彼女……いるんじゃない、の……?」
「……は?」
「だって、愛ちゃんが……」
そういうと、木ノ内くんは、眉根を寄せて、私をだきしめた。
「………嘘だよ。デマ」
「………う、そ…?」
「ごめん……俺が、あのままでいいって思ってて、お前が俺を起こしてくれるの、嬉しくて、……皆グルだったんだ。」
「ぇえ!?」
ということは、愛ちゃんも?
そっか。いつまでも甘えてた私の背中、押してくれたんだ。多少強引だったけど…。
「あの先輩まで……」
「……良い先輩だよ…?」
なんだか怖いオーラをまとっていたので、そういうと、木ノ下くんは、苦笑して、私の額に口付けを落とした。
「あいつの話はすんな。」
すねたような口ぶり。顔は無愛想だけど、目を見ると、どこか寂しそうな目をしていた。
私は腕を木ノ内くんの背中に回した。
「……大好き」
そういうと、木ノ内くんは、顔を真っ赤にした。私も言ってしまった言葉にあとから恥ずかしさを感じて、赤面してしまった。
私たちの恋、は、隣から始まりました。
これからも隣にいてね?斎くん?