Heavenly Days

Last Chapter  雪の欠片



 あのわがまま天使と逢えなくなって、数か月が過ぎた。秋が来て、冬が来て、その間俺は寝る間も惜しんで猛勉強をした。模試の結果がよくなかったり、塾の先生に難しいかもしれないと言われたりして、何度も諦めそうになった。だけど、そんな俺を支えていたのは、真夏に俺の前に現れて、消えたセラの存在だった。
 セラの声を思い出すと、どうしてか胸が熱くなる。手のひらに熱が生まれ、なんでもできるような気持ちになってくるから。それと同時に、胸のどこかに痛みも感じるけど。
 がむしゃらにやっていくうちに、一般入試が始まった。そして、すべての試験が終わったとき、俺は久しぶりにあの公園に向かった。

 セラを初めて見つけた街灯の上を、見上げる。息を吐くと、ほんわりと白い煙が漂った。
「……いない、よな…」
 目を閉じると、あの夏の木々のさざめきが聞こえてくるような気がした。
 ゆっくりと瞼を上げると、葉が一つもない枯れた木々が周りを囲んでいた。小さく笑って、踵を返す。大きく息を吸い込んで、夜空を見上げる。

 明日は、第一志望の武蔵野学院合格発表の日だ。

 ◇ ◇

 当日は、目覚まし時計が鳴る前に、眼をさましてしまった。時計のタイマーをオフにして、カーテンを開ける。どんよりとした曇り空だ。そういえば昨日のニュースで、今日は雪が降ると言っていた。
 階下に降りると、俺よりも蒼い顔をした父さんと彩菜に迎え入れられた。朝食は、カツ丼だ。苦笑をして、食卓に着く。
 熱々のカツ丼は、すごくうまかった。ヒレ肉から肉汁がじんわりとあふれ出て、あっというまに胃に吸い込まれるような感覚がした。
「ごちそうさま」
 立ち上がり、学生鞄を取って、玄関に向かう。父さんと彩菜も慌てて追いかけてきた。
 靴をはいて、父さんと彩菜に向き直る。
「絶対、絶対すぐに電話するのよ?」
「お前らしく行けよ?優斗」
「もう試験は終わってるって」
 軽口をたたいて、いってきますと口を切り、ドアを開ける。コートを着ていても身にしみる寒さに、身体が震えた。
 しばらく歩いてから、ふと振り返る。彩菜と父さんが、手を振っていた。頬が熱くなった。すごく照れくさかったけど、手を振り返す。

(幸せだよなあ、俺って)

 そんなことを思いながら、ぼんやりとセラのことを思い出す。去年の夏のことなのに、セラの顔の輪郭や声は、おぼろげになっていた。

 
 武蔵野学院につくと、校庭に大きな掲示板がいくつも点在した。その中の一番端に、特待生の合格者一覧が貼ってある。俺はゆっくりと歩みながらポケットから受験票を取り出す。
 ――7084
 それが、俺の受験番号だ。唾をのみ込み、辿り着いた掲示板を見上げる。そして、左端から順々に数字を追って行った。
 心臓がどくんどくんと跳ねあがる。手が震える。足も笑っている。近づくにつれて、頬がひきつっていく。怖い、という感情が、段々膨れ上がっていき、逃げ出したい衝動に駆られる。
 それでも、どうにかその場にとどまって、数字を追った。
(…7056…7077………)
 一度、眼を閉じた。心の中で、セラ、と呟く。そして顔をあげて、掲示板をまっすぐに見つめた。そして、眼を見開く。
 
(……………70、84…)

「………あった」 
 
 何度も何度も、受験票と掲示板を見て、確かめる。ある。確かに、ある。俺の番号が、ある。
「よっしゃあああっ!!」
 感極まって思いっきり叫ぶ。隣にいた男がびくっと肩を震わせるが、そんなこと関係ない。それに、あちこちで歓声や泣き声が響いていたから、俺だけが目立つなんてことはない。ガッツポーズをして、空に振り上げる。
(やった。やったんだッ!)
 その時、空を仰いでいる俺の頬に、ふわっと何かが触れた。慌てて眼を開ける。
 空からは、ちらちらと雪が降ってきていた。
「…はは…雪か」
 気を取り直して、入学手続きの書類をもらうべく受付に走る。丁度すいていて、すぐに書類を貰うことができた。それから全力で走って、校門の近くのバス停の横にある電話ボックスに駆けこんだ。
 家への電話番号を押して、ワンコール鳴らないうちに、彩菜の声が響いた。
『優斗っ?!』
「姉さん、受かったよっ!!俺、やったんだ!!」
 そこで父さんに受話器がかわる。父さんの声が震えていた。
『優斗、よく…よく頑張ったな…っ』
「うんっ…うん!」
『お父さんたらもう泣いてるのよ。ふふっ優斗、おめでとう。お祝いしなきゃね。何が食べたい?好きなもの言って?』
「そうだなあ……」
 俺は何気なくバス停に目を向けた。丁度駅前から発車したバスが着いたところだ。ドアが開き、赤いダッフルコートを着た小柄な女の子が下りてくる。焦った様子で辺りを見回していた。
「………え…?」
『優斗?どうした…』
 無意識に受話器を置いて、電話ボックスのドアを思いっきり開ける。ものすごい音が響いて、順番待ちをしていた学生が、顔をしかめた。

◇ ◇ ◇

 ダッフルコートに身を包んだ女の子は、眼を大きく見開いて俺を見ていた。ミトンの手袋をしている両手で口を覆って、信じられない、という表情を浮かべる。
 そして、確かに彼女の震えた声が俺に届く。
「…優斗…?」
「…………っ!」
 無意識に腕を伸ばし、小さな、けれど確かに温もりを持った体を、強く抱きしめる。
 セラはぎこちなく俺の背中に腕を回して、しゃくりあげながら言葉を紡いだ。
「…神様に、合格って言われて、ね…っ…そ、れで、気が付いたら、病院のベッドの上、で…」
 家族が自分を覗き込んで、抱きしめてくれて。お医者様に奇跡だと言われて。
「夢だと、おもってたの…だけどっどうしても気になって…っ」
 夢とは思えないほど鮮明だった記憶。それを忘れることなどできなかった。今日が武蔵野学院の一般入試の合格発表の日だと知ったら、いてもたってもいられなくなって。
 そこまで聞いて、俺は一層強くセラを抱きしめた。腕の中でセラが小さく悲鳴を上げるが、気づかないふりをする。
「……な…」
「え…?」
 聞こえなかったようで、セラは一所懸命身をよじって俺を見上げる。
 すき透った瞳からこぼれる涙が本当にきれいで、俺を見つめるその表情が、何より愛しいと思った。
 柔らかい頬に両手をあてて、瞳をまるくしているセラに笑いかける。そして、形の良い唇を自分のそれで塞いだ。
 離してセラの顔を覗き込むと、みるみるうちにセラの頬に朱が走り、顔中が真っ赤に染まる。俺はもう一度セラを抱きしめて、囁いた。
「もう、消えないんだよな…?」
「…うんっ消えないよ。…傍に、いても良い?」
「今さら何言ってんだよ」
 お互いの額をあわせて、小さく笑いあう。その時のセラの笑顔は、今までで一番、可愛かった。



 ふわふわ。ふうわりと雪が空から舞い降りてきてくる。
 それは途切れることなく。ずっと、ずっと――。



- 終 -


◇一言感想

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